夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

夕暮れ天使


アパートの窓から眺める昼下がりの景色が好きだった。
緑豊かな住宅街の一画に残った畑には、春に植えたとうもろこしが背丈を越え、梅雨のぬるい風が黄色い穂先を揺らし、自慢げにひげを蓄え、大事そうに幾重にも薄皮を被った実を膨らませていた。
あと半月もすれば、大家の老夫婦が麦わら帽を被り、道端に出した縁台でもぎたてのとうもろこしを売り、今年もスーパーの袋に入った気前のいいお裾分けが、ドアに吊り下げられることをアパートの住人の誰もが期待していた。

どうにか美大を卒業したが、定職ない、金ない、友達いないの、ないないずくめの生活も二年が過ぎていた。幾つかのバイトを掛け持ち、どうにか糊口を稼ぎ、派遣会社からお呼びの掛からない日は、アパートで勝手気ままに絵を描き、飽きたら街をうろうろ散歩して時間をつぶした。
気分の乗らないときは、散歩の足を遠くまで延ばし、何の役にも立たない思索にふけり、いっぱしの画家気取りだったが、傍から見ればただの無能者だった。
それでもいつかは日の目をみることを夢見ていた。

午後の八時から翌朝六時までの夜間工事の交通整理は、工事車両の排気ガスと溶けたアスファルトの臭いにさえ我慢すれば、実入りのいいバイトだった。
車両誘導のイロハを仕込まれていない登録バイトの俺に与えられた今回の仕事は、工事現場に通じる枝道に立てた通行止めの看板の横に一晩中立ち、迷い入ったタクシーなどに、丁寧に頭を下げ、抜け道へと誘導することだった。
工期は土日の休みを挟んで、ちょうど十日間。家賃を払っても、しばらくは絵の制作に没頭できる算段がついた。


空気で膨らんだ巨大なぼんぼりに明りが灯り、薄暗い街路が瞬く間に昼間の明るさをとり戻し、照明が引き伸ばす自分の影を踏みながら、通行止めの看板を抱えて、自分の持ち場に急いだ。
今夜も来るだろうか。人通りのない真夜中の路地の先から、パンプスの音を響かせ、走ってきた若い女に遭ったのは、工事二日目のことだった。通行止めの看板を目にした女に、俺は頭を下げ、右手を水平に伸ばし、迂回の指示を告げた。
初めは帰宅を急いでいるのだろうと気にも留めなかったが、なんと、それから毎晩、日付が変わった同じ時刻に、どこからともなく現れ、俺に軽く会釈しては走り去る女に不思議な興味を覚えてしまった。
肩先の髪をなびかせ、手ぶらで走る様は、明らかに帰宅を急ぐ風ではなかった。見るからに華奢な若い女の、普段着での深夜のジョギングとは妙なことだったが、同じ市で起きた通り魔事件を思い出し、心配した俺は路地の真ん中で仁王立ちし、女の背中を目で追い続け、何事もなく闇に消えると、やれやれと胸を撫で下ろしていた。


腕時計の針が十二時を回り、背後から聞える掘削機の騒音にまぎれて、軽快なパンプスの音を耳にした俺は、今夜も女が現れたことを確信した。おぼろげな暗い路地から姿を現した女は手にコンビニの袋を提げていた。そして何を思ったか、頭を下げて右手を上げた俺の前で立ち止った。瑞々しい柑橘の香りが、汚れた鼻腔を甘くさせ、乾いた胸の底まで浸潤した。私は思わずたじろいだ。
常夜灯の鈍い灯火が、綺麗に染めた栗毛色の髪を艶やかせ、カールした長い睫毛の可愛い目元を私に向け、薄紅をひいた小さな唇を開いた。
「毎晩おつかれさまです・・これ飲んで・・」
コンビニの袋からスポーツドリンク取り出し、反射板が縫い付けられた俺の胸に突き出した。
予想もしていなかった不意の女の行為に、俺は慌てた。むやみに人様から物を頂いてはいけないと、死んだ祖母がよく言っていた。まして、物騒な世の中で、想像もつかない犯罪に巻き込まれる怖れがあることは誰もが知っていた。
躊躇する俺に女は、決まり悪そうに笑みを浮かべ、俺の胸中を察したように言葉を繋いだ。
「今、そこのコンビニで買ってきたばかりだから。毒なんか入っていないから・・」
「あなたに飲んでもらおうと買ってきたの」
「――私に?」
さっぱり理由が分からず、戸惑う俺を見かねたように、女は俺の腕を取り、冷えたペットボトルを無理やり握らせた。
「毎晩私のことを心配そうに見送ってくれて、嬉しくて・・」
女は俺が後姿を目で追っていたのを知っていた。仕事中の私語は禁止されていたが、毎晩の女の行動に膨らんだ好奇心と、淡い気持ちに押された俺は、後ろを振り向き、工事関係者が誰もいないことを確認した。
「物騒な事件がありましたから、人通りのない夜道は男性でも身の危険がありますよね」
「いつも遅い時間に走っていますが、お仕事の帰りですか?」
「いえ、ちょっと説明しにくい・・お分かりのように、まだ自信がなくて・・」
掘削機の喧しい音と振動が、女の細い声をかき消し、俯いた女は、自分の服装に目を落とし、少し困ったように身を捩った。
「あっ、失礼しました。見知らぬ方に不躾なことを」
私は、会社の規律に従い、背筋を伸ばし、腰を折って頭を下げた。
「お仕事、いつまでですか?」
「はい、朝の六時には必ず撤収しますから」
「そうじゃなくて、工事はいつまで・・」
「あっ、明日の金曜日には終わります。長い間ご迷惑お掛けして申し訳ありません」
「明日もここにいます?」
「はぁ?・・明日までの契約になっていますから、大雨さえふらなければ・・」
女の質問の真意をはかりかねた俺は、付近の住民とトラブルになることを怖れ、慎重に言葉を選んだ。
「そう、明日で終わりなんだ・・」
立ち去る女に、何度も差し入れの礼を述べ、今夜も女の後姿が見えなくなるまで見送った。なぜだか、残念そうに呟いた女のひと言が耳に残り、甘酸っぱいスポーツドリンクをひと息に飲み干した。



握られた腕に残る女の手の感触が消えぬまま、迎えた工事最終日の夜、日付の変わった同じ時刻に現れた女は、そうすることを決めていたかのように、スポーツドリンクと小さく折った紙切れを私に無理やり押し付け、一目散に駆け出した。
礼を言う隙もなく呆気に取られ、路地の真ん中で立ち尽くす俺に、女は一度だけ振り向き、何ごとか口を開いたが、突然の騒音にかき消され、声は俺まで届くことはなかった。腰で小さく手を振り、真っ暗な路地に消えてしまった。

少女のような丸文字で、ミユという名の携帯アドレスが書かれたピンクのメモは、その日から俺の宝物になったことは言うまでもなかったが、俺はミユとの不思議な出会と、淡い想いを胸に仕舞うことにした。何度かアドレスを打ち込んでは、携帯を放り投げた。自分の情けない生活を思うとメールを送ることはできなかった。男の甲斐性など何もなかった。お互い気まずい思いをすることは分かっていた。
ミユのメモを文字が読めなくなるまで千切った晩、大家からのお裾分けの甘いとうもろこしが、惨めな気持ちを少しだけ和らげてくれた。


しかし、話はこれで終わらなかった。




俺の携帯に見知らぬ番号から、電話が掛かってきたのは、畑一面に実ったとうもろこしが収穫を終えた、初々しい夏の日のことだった。
鳴り止まない携帯に根負けし、通話ボタンを押した俺の耳に届いたのは、なんとミユの声だった。なぜ、俺の電話番号が分かったのか、当惑する俺にミユは、「種明かしは井の頭公園に来てくれたら」と、有無を言わせぬ物言いで電話を切ってしまった。


茜色に染まる井の頭公園は、街の喧騒を逃れ夕暮れの涼を求め散歩する人が行き交い、池を囲むベンチを奪い取った若いカップルが、仲睦ましく肩を寄せ合っていた。俺は手持ち無沙汰に、よれたジーンズのポケットに両手を突っ込み、ミユを探した。
池の桟橋から遠く離れ、枝を大きく張り出した桜の大木の陰に置かれたベンチに、忘れもしないミユの後姿を見つけた。俺は可笑しいくらいに胸をときめかせ、ミユの隣に少し間を空けて腰を下ろした。着古したTシャツ姿のむさ苦しい俺に、ミユは眩しいまでの笑顔をほころばせた。可憐な小花をあしらった薄緑のふんわりとしたチュニックが、ミユの甘い香りを一層引き立てていた。
「やっと約束を守ってくれました」
「――約束?」
思い当たる節がなかった俺は、急いであの晩の記憶を呼び起こした。
「最後の晩、約束したからって言ったのに・・」ミユは愛くるしい小さな唇を尖らせた。
「あっ、そういえば君が振り向き様、何か言ったのは覚えているけど・・そうだったのか・・」
「ごめん、工事の音で聞えなかった」
たとえ聞えていたとしても、俺は約束を守ることはなかった。今の自分はミユのような可愛い女の子とは、不釣合いなことは分かっていた。叶わぬ恋心を抱くことだけで十分だった。そんなことを知ってか知らぬか、俺の居場所を探し当て、連絡してきたミユにどのように接すればよいのか、迷いながらも足は井の頭公園に向いていた。
ミユの強引さに負けたから、タネ明かしを期待したから、でも本心は、もう一度だけミユに逢ってみたかった。今日だけ、今日だけだからと言い訳していた。

「お酒飲めます?」
「はい、弱いけど好きです」
「わたし、チョ~弱いんですけど、今日は飲みたい気分です」
ミユは嬉しそうに、赤い水玉模様のトートバックから、缶ビールを二本取り出し私に勧めた。
「毒は入ってませんから」
悪戯っぽく笑ったミユに、思わず吹き出した俺は、今日ここに来てよかったと思った。冷たいビールが乾いた喉と心まで潤していった。

「どうして俺の電話番号が分かったのですか?」
「知りたい?」
「ええ・・」
ミユは勿体つけるようにビールをひと口飲み、缶についた淡いルージュをハンカチで拭うと、ふうーと吐息を洩らし、タネ明かしを語り始めた。夕映えに光る池に目を細めるミユの横顔に見惚れた。
「まずは、首から下げていた社員章の名前をしっかり覚えました」
「飯塚雅史。イイヅカマサシ、イイズカ、マサシ。絶対に忘れないように繰り返しながら帰って」
「でも名前だけじゃ・・」
「次にわたしがしたのは、武蔵野市の土木課に電話して、工事を請け負った会社の連絡先を聞いたの。でも市役所は工事に何か問題が起こったように思ったらしくて、しつこく用件を聞こうとするから・・ちょっと嘘ついて。『交通整理の飯塚雅史さんという方から、タクシー代をお借りしてしまって、お返ししたいのですが、連絡先を教えていただいたのですが、うっかり紛失してしまって、困っています』と言ったら工事会社を教えてくれたの」
「それで、工事会社に連絡して、同じこと話したら、すぐに派遣会社が分かって」
「でも、派遣会社に電話したら、電話に出たオヤジが『そうゆうご用件なら当社で預かりますが』って、連絡先を教えてくれなくて・・本当に困っちゃって、ハイそうですかとは言えないから、勝負にでたの」
「勝負?」
「いつも以上に、可愛くした女の子の声で、すすり泣きして、『二十歳の娘が、恥を忍んで、電話してるのに・・私の気持ちが分かってもらえませんか?あなただって、こんな気持ちになったことありませんか?』って言ったら・・」
「言ったら?」
「オヤジさ、『例外ですよ、一度しか言いませんから、メモしてください』って、むすっとした声で教えてくれたの。もうヤッター!って、マサシさんの電話番号が分かったのは、もちろんうれしかったけど、僕が二十歳の女の子だと信じこませたのが、うれしかくて、うれしくて」
ミユは両脚を伸ばし、子供のようにサンダルをばたつかせた。
「ち、ちょっと待って、ちょっと・・」
「――僕って!」
腑に落ちないひと言にミユに顔を向け、問いつめるように聞き返した。
「エッ!・・知ってたでしょ?」
「ナニを?」
「ウソ!僕がオトコだってこと」
「イヤー・・知らなかった・・」



「ごめんなさい・・騙すつもりなんかなかったの・・」
「男だって夜道は危ないからって、毎晩心配そうにわたしを見送ってくれた、マサシさんにもう一度逢ってみたくて・・どうしても、逢いたくて・・」
ミユはあの晩、俺の言葉の意味を、あきらかに違うニュアンスで受けとっていた。ミユにすれば、あながち間違えではなかったが。
大学にも、中性的な格好をしている奴が俺の周りにもいたが、何を好き好んで男が女の格好をしなければならないのか、俺には理解できなかった。
それでも、小さな肩を震わせ泣き沈むミユは、どこからどう見ても、二十歳の女の子にしか見えなかった。騙されたという気持ちは微塵も湧いてこなかった。俺を探す、一途な乙女心が嬉しかった。そしてなにより、誰が見ても、無能者の俺に想いを寄せてくれる人がいたことに、胸を熱くさせた。込み上げてくる感情は、ビールに酔ったわけではなかった。

俺はミユの小さな手にそっと触れた。柔らかな花のような手が、俺の気持ちを素直にさせた。もう迷うことはなかった。
「ミユちゃん、井の頭公園で長いこと仲良くしてると別れるという都市伝説、知ってる?」
「ヤダ、ウソ!」
思わず顔を上げ、泣き腫らした瞳を丸くしたミユは、夕暮れに舞い降りた天使だった。
「だから、ここから抜け出して、いっしょに夕飯食べないか?」
「俺、金ないから格好のいいとこ連れてけないけど・・」
「ミユもお金ないから、牛丼でいいよ」
「はじめてのデートで牛丼じゃ・・」
苦笑いした俺にミユは満面の笑みを取り戻してくれた。
「泣いたら、ひどい顔になっちゃった」
ノートのような大きな鏡に向かい、馴れた手つきでアイラインを引く、この愛しい天使を大切にすることを夕空に誓った。



好きな子と手を繋いで歩くのは生まれて初めてだった。指に力を込めると、ミユは俺以上に力強く握り返した。顔を見合わせ笑みがこぼれた。

そこのベンチにいる二人、散歩しているみんな、見てくれ、俺の彼女。ミユって言うんだ。二十歳の女子大生、可愛いでしょ。ちょっとだけ変わっているけど、ここにいる誰だって、ひとつやふたつ変わっているとこあるよな。俺はそうだけど。今日はじめてのデート。これから食事に行くんだ。どこで知り合ったって?真夜中の路地から走って来たんだ、本当さ。柄にもなく一目惚れしちゃって。照れ臭くてミユには内緒だけど、大切にするって誓ったよ。なんでこんな気持ちになったのか不思議だったけど、正直な気持ちさ。そうだ、会社の人がデザイン事務所の面接受けてみないかって言ってたっけ。自信がなくて、返事渋ってたけど、ミユ、俺、受けてみる。よっしゃ!やるぜ!







古いお話にも拍手をいただき、うれしくてこの場を借りてお礼申しあげます。ありがとうございます。




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コメント

夏の夜にいいお話を読ませていただきました。

なにかね、、、

今の私はこういうポジティヴなお話しに、ついホッと溜息などをついてしまいます。
理想だけど、お互いが高まる恋って、それがほんものの恋のように思えてしまいます。

  • 2013/07/18(木) 23:33:51 |
  • URL |
  • 夏川綾香 #-
  • [ 編集 ]

Re: 夏の夜にいいお話を読ませていただきました。

綾香さん コメントありがとうございます。

嬉しいねぇ。

あえて、濡れ場のないお話に挑戦しております。(笑)「鎮魂歌」「夕暮れ天使」
もう一話ぐらい書けたらと思っていますが、なかなかどうして・・

「ボーイズ・ラブ」歳を省みず、友情に情愛が芽生えるお話が理想ですが、
筆力のない私には難しくて、どうしても直線的になってしまいます。
それならと、とことんエロイお話でもと発奮しても、書き上げたものは・・ねぇ・・

昭和枯れススキの限界でしょう(嗚呼)

  • 2013/07/19(金) 21:59:35 |
  • URL |
  • アル #-
  • [ 編集 ]

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