夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

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原生生物の恋


その奇妙な生き物が、僕の部屋に現れるようになったのは、おそらく梅雨どきの雨の夜だったと思う。子供の頃は夢と現実の区別が付かなかなくて、作り話だと思われても構わないが、僕は忘れることができない。この間の理科の授業で見た、顕微鏡の中で体の形を変えながら動くアメーバーのような、細い管のような筋が透ける半透明の生き物は、明りを消した湿った部屋の闇の中を縦横無尽に浮遊し、何を思ったか、ベッドに横になっていた僕の手の甲にぺたりと張り付いた。
驚いて声を上げた気はする。粘着質の湿り気が手に広がり、生暖かい舌でゆっくりと舐められているような心地に、しばらく治まっていた自家中毒の発作が起きたと諦めたが、発作とは違う身体の変調に、僕はその生き物を手に乗せたまま、腕に鳥肌が立つのを見ていた。

次の晩、夜の闇から舞ってきた奇妙な湿ったぬくもりは、腕から首筋、胸に伸び、ゆっくりと身体全体を覆い、そのくすぐったいような感覚に耐えていると、アメーバーの毒に当てられたのだろうか頭の芯が痺れだし、身体から何かが染み出るような甘さと、浮遊感に昏睡してしまった。
あれは憂鬱な雨が降りしきる晩、首筋に鳥肌が立つのを感じながら、いつものように生ぬるい感覚に身を委ねると、トイレに行きたいような気分になり、お尻のまわりを覆った粘着質が痙攣するように動いた。その瞬間、僕の背筋に熱く甘美な刺激が走った。朝起きるとパンツの中で、アメーバーがいた校庭の池と同じ生臭い匂いがした。


地元の中学校が荒れていたことが理由で、母の強い希望に従い、僕は学区外の中学校へ通うようになった。知った仲間も友人も誰もいない中学で、見るもの聞くものすべてが慌しく過ぎていった。進級に伴うクラス分けが行われ、新しい同級生の顔を覚えた頃、僕と同じように学区外から登校する樋口君と親しくなった。お互いに一人っ子だったことや、線が細く青白い顔の樋口君は幼い頃から喘息を患い、自家中毒の僕とは、病弱な者同士の、仲間意識が働いたのかもしれない。
中学生になり、少しずつ体質が変わったのか、僕は自家中毒のきつい症状が出ることはなかったが、樋口君は時々発作を起こしては学校を休んだ。持病から外で遊ぶことが、あまりなかった樋口君は大変な読書家で、成績も優秀だっただけでなく、音楽、芸術、芸能ゴシップまでにも精通していて、その博識に僕は舌を巻いていた。

病気の子供特有の妙にませた考えと、大人顔負けの医療知識は、僕と樋口君を普通の友人以上の関係にすることに時間は掛からなかった。長い間に受けた治療の隠れた副作用のように、子供ながらの、性別を無視した淫靡な種を発芽させていた。糊の利いた白衣の硬さとアルコールの匂い、聴診器の冷たさ、注射針の妖しい輝きと身体から伸びた薬液のチューブ、それらが身体に被虐の恐怖と密かな性への興味を目覚めさせていた。

クラスの男子で盛り上がった、思春期特有の猥談が尾を引き、僕と樋口君は、人気のない放課後の図書室で密談した。アメーバーのような、ぬるぬるとした粘液質に身体が覆われて、夢精してしまうことを冗談めかして話した僕に、樋口君は目を丸くして興味を示した。
その様子を根掘り葉掘り聞きたがる樋口君に閉口する僕の苛立ちを感じとり、罪悪感に苛まれたのか、樋口君は病院のベッドの中で、自分と瓜二つの全裸の少年に、点滴をぶら下げて身動きできない身体を押さえつけられ、勃起した性器を虐められ、紙おむつの中に夢精してしまったことを、恥ずかしそうに告白した。
思いかけない樋口君の告白に甘酸っぱい気分にさせられたことは言うまでもない。秘密の告白に魅了させた僕たちの仲は急速に縮まり、お互いの性の微熱を意識しだし、下校途中に二人だけの場所を見つけては、僕も樋口君も言葉にできないきっかけを探り合っていた。

季節はずれの嵐の到来で、急激な気圧の変化に喘息の発作を引き起こした樋口君に僕は慌てた。激しく咳き込み、呼吸困難に陥った樋口君は、助けを呼ぼうとする僕の腕を掴み、頭を何度も横に振った。言われたとおり樋口君の鞄から吸入薬を取り出し、うずくまる樋口君の背中を擦り、震える唇に吸入器を咥えさせた。苦しさに切羽詰った樋口君に翻弄され、寄り掛かる身体を抱え込み、発作で硬直した樋口君を撫でてあげた。
しばらくして薬が効いたのか、嘘のように発作が治まった樋口君は何度も深呼吸をすると、目を潤ませ、僕の身体に抱き付き唇を塞いだ。突然のことに驚いたが、吸入薬のほろ苦い息に触発された、僕の股間の上を彷徨う、樋口君の細い指を拒むことはなかった。染み出した粘液で腿が濡れるのがわかった。





『十代のカリスマ』と呼ばれた男性歌手が謎の死を遂げ、僕のまわりでも、その話題がもちきりで、熱心なファンを自任するクラスの女子たちは子供っぽい追悼の言葉をノートに書き、見苦しいまでの悲観に暮れていた。音楽に疎かった僕には理解出来なかった。そんな彼女らを揶揄する僕に、樋口君は苦笑いしていた。

重荷だった中間テストから解放された休日、樋口君の思惑に頷いた僕は、樋口君の留守宅に招かれた。今日のために大掃除をしたと言う、樋口君の整頓された部屋の片隅に置かれたベッドの淵に並んで腰掛け、僕は初めてその歌手のCDを聴いた。今まさに自分たちが置かれた、遣る瀬無い青春の叫びが、僕の胸を熱くさせていった。
音楽の不思議な力に後押しされ、ベッドに置いた樋口君の手にそっと触れると、僕の手を握り返し、樋口君は笑みを浮かべた。歌手の最期を真似たように、服を脱ぎ捨てた僕たちは、初めてお互いの身体を見せ合った。驚くほどそっくりで貧弱な身体つきを照れ隠しに笑いあったが、羞恥心を凌ぐ異常な昂りが、僕たちをみるみる勃起させて、同じ想いはもう隠しようがなかった。

ベッドに倒れこみ脚を絡ませ、乾いた唇を不慣れに啄ばみ、身体の輪郭を確かめるように、細い腕から肩、薄い胸からくびれた腰にぎこちない手を這わせ、伸ばした指先で生え揃わない薄い陰毛を撫で上げ、恐る恐る性器に指を絡ませた。口の中に派手な呻き声を洩らし、僕達は願い叶った悦びに震撼した。
樋口君は胸をぜいぜいさせながら、囈言のように身体の拘束をせがみ、僕は樋口君の細い胴に腕をまわし、弾む身体を押さえつけた。樋口君は身体の自由を奪われることに悦びを感じているようだった。
沸騰した性器の熱と脈動が、手から腕、背筋を走り、恐ろしいまでの樋口君の興奮が僕の性器に伝わった。胸を大きく波打たせた樋口君は両脚を突っ張らせ、悲痛な泣き声を上げると、ぎゅっと握った僕の掌の中に熱い精を迸らせ、全身が弛緩していった。

病院のベッドで見た夢が現実になった悦びを、頬を赤らめ、荒げた息で口にする樋口君は、唾液を溜めた唇と舌で、ベッドに投げ出した僕の身体を悶えさせた。歯がゆい指使いで震える性器が泣き出し、とめどなく溢れ出る粘液を掬い取り股間を光らせ、僕の濡れた身体を跨いでゆっくりと身体を密着させた。僕を優しく包み込む抱擁は、忘れかけていたアメーバーの柔らかな粘着質を呼び戻し、僕をさらに興奮の高みに誘ってくれた。

「アメーバーのような原生生物は、雄雌の性別の区別はないんだ。似たような遺伝子を持った仲間を見つけて、惹かれあって細胞を付け合うんだ・・」

樋口君のあのときの言葉は、今も忘れることはない。僕は樋口君の滑らかな肌にしがみつき、興奮が冷めない樋口君の股間に破裂しそうな性器を擦り付けた。長く切ない喘ぎ声をひきずり、すぐに我慢できなくて樋口君の柔らかな下腹に精を飛び散らせ、目も眩む激しい快感に意識が遠のいていった。

他人に引き寄せられた射精の強烈な快感に、僕たちが夢中になったことは言うまでもなかった。思春期の真只中、押さえ切れない性衝動が関係を深め、友情が幼い情愛に変わったことを意識しだした僕たちは、束縛の悦びを知る一方で、何気ないことに、愚かな疑惑と嫉妬に駆られた。
喘息の発作で数日間学校を休んだ樋口君は、自分の居ない間の僕の行動を問い詰め、異常な昂りを僕に見せ付けては、僕の興奮を煽った。それでも最後は身体を張り合わせ、僕に折檻されることを切望した。今思い返せば、芝居じみた行為が、僕たちを夢の世界へ導く前戯だったのだろう。大人しく目立たない、幼さを残した僕たちが、密かな淫蕩な行為に溺れていることなど、学校の誰も、両親さえも気が付いてはいなかった。

そんな僕たち二人の蜜月が、終わった。

三年生に進級する直前に樋口君の父親に転勤の辞令が下り、樋口君の進学のことが最優先され、一家で神戸に引越しすることになってしまった。突然に訪れた別離の寂しさに、女の子のように号泣する僕に樋口君も唇を噛み締め、涙を隠すことはなかった。僕たちの仲を切り裂く、青白く光る刃物のような三日月夜、二人だけの送別会を幹線道路沿いに開店したばかりのカラオケボックスで開いた。僕たちのお気に入りの、あの青春歌を叫び合い、お互いの身体の一番深いところに指で契りの傷を付け、涙と欲情が枯れるまで抱擁を交わし、僕は笑顔で樋口君を見送った。


ぽっかりと空いてしまった心の寂しさを紛らわすように高校受験をどうにか乗り切った僕は、運も手伝い第一志望の付属高校へ入学した。関西の有名進学校に入学した樋口君とは、しばらく連絡を取り合っていたが、余りにも遠い距離は埋めがたく、次第に疎遠になってしまった。身体の奥に刻まれた傷の痛みも薄れていった。

勉強の重圧と本能の疼きに耐えかねてしまった僕は、あれこれ理由をつけ言い訳めかしては、偶然の出会いを求め、新宿の街をさまよい始めた。高校二年の秋、小さな下着を物色する僕に声を掛けてきた、サラリーマンの青年と仲良くなった。彼の横顔が樋口君の面影と似ていた。
デートと呼べるほどの逢瀬ではなかったが、休日にお茶を飲んだり映画を見たり高校生の僕を気遣う青年の優しさと、恋愛小説のような甘いキスに惹かれていった。
言いにくそうに呟いた青年の誘いに、ついて行ったマンションで一緒にシャーワーを浴び、初めて目にした興奮した大人の性器に狼狽える僕をぎゅっと抱き締めてくれた。
ベッドで囁く青年の愛の言葉と意地悪な愛撫は、樋口君との初恋を蘇らせたが、アメーバーにのみこまれる夢の続きを見せてはくれなかった。青年には悪いと思ったが二度と逢うことはなかった。
その後僕は、秘めた想いを胸の奥に大事に抱えながら、ごく普通の高校生活を送った。グループ交際で女の子と賑やかな時間も新鮮だったが、それ以上の関係に進むことはなかった。

付属校の特権で、さほど苦労することなく大学進学を果たした僕の元に、樋口君からの突然の連絡が入ったのは、初夏を思わせる五月晴れの連休の日だった。私立の医学部に入学した樋口君は親元を離れ、生まれ育った東京に戻っていた。待ち合わせの新宿の書店の前に現れた樋口君は少し逞しくなっていた。懐かしさに尽きない話を携えて、僕達は樋口君のアパートできつく抱き合った。お互いキスが上手くなったことを笑って嫉妬しても、もう言葉は要らなかった。濡れた身体が原生生物に戻った僕達に愛の潤いを与え、膨れ上がった全身の細胞を二人で丁寧に張り合わせた。
そして、二つの分離していた小さな原生生物が、細胞をのみこみあい、大きな一つの原生生物に生まれ変わった悦びを実感した。




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