夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

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オーダー 前編

バイト先の酒場の、グラス棚の一番手前に置かれた、マスターの還暦祝いに彫った、柘植のイナゴが事の発端だった。
出来栄えは、自分なりに自信はあったが、大層、喜んでくれたマスターは、すぐに店に飾ってくれた。それに目を留めた常連客の建築家Nさんに、マスターは僕のことを息子自慢のように語り、カウンターにいた僕は、少々照れ臭かった。

数日後、マスターを介してNさんより連絡を貰った。聞けば、今、請け負っている工事の依頼主から、特別な注文を受け困っているとのこと。仲間の彫物師に頼んではみたが、出来上がった作品は、依頼主に気に入ってもらえなかったそうで、上客である依頼主の機嫌を損なうことは許されず、困っていた矢先、イナゴを見たNさんが、事も有ろうに、僕に彫刻の依頼をしてきたのだった。
彫刻科に在籍するとは言っても、一介の大学生に、プロの彫刻師よりも良い物が彫れる自信はなかったが、常連客の頼みを無下にするのは心苦しく、Nさんは詳しいことは話さなかったが、一度、僕の作品を見たいと所望する依頼主に会うことを承諾した。


訪問したホテルのドアを開けたのは、顔立ちの整った青年だった。綺麗にセットした栗毛色の髪、透きとおるような白い肌、柔らかな物腰、正直、青年の声を聞くまでは、性別の判断が難しかった。その中性的な雰囲気に気後れがした。
都心のホテル住まいなど、小説の中のことだと思っていたが、実際に会った依頼主Y氏の、住み慣れた様子に驚かされた。さらには、僕のような子供に対して、腰の低い紳士的な態度に恐縮してしまった。

東京の街並みが見渡せる、素晴らしい眺望の応接間に案内され、僕は持参した自分の「手首」を模した作品を、クッション材を拡げたテーブルの上に置いた。
興味が惹かれたように前屈みになったY氏は、真剣な眼差しで作品を見詰め、僕に許しを請うと、壊れ物を扱うように、そっと両手に取った。木肌の感触を確かめるように撫で、緩く曲がった五本の指を一本ずつ愛でるように摘んでは細部に目を凝らし、僕はまるで自分の手を触診されているような、不思議な感覚に見舞われてしまった。
Y氏は口ごもった唸り声を上げると、作品を丁寧にテーブルに戻し、口を開いた。

「失礼ですが、ご自分の手がモデルですか?」
「はい」
「何か柔らかな物を握っているような造形ですが・・」
「ええ、小鳥を握っています」
「小鳥?」
「実家で飼っている文鳥を。怖がるので、きつく握るわけにはいけません。と言って、逃がすわけにもいきません」
「おっしゃること、よく分かります。飼い主の愛情が伝わってきます。どうぞ、楽になさってください」
緊張した僕の態度を気遣うように、Y氏はルームサービスに運ばせた紅茶を僕に勧めた。

「ご存知かと思いますが、Nに別荘の改装を頼んでいます。実はその一部屋に合わせた、ある物を作って頂きたいのです」
「ちょっと、待ってください。僕はまだ、学生で、見習いの分際で……」
「貴方のことは、Nから聞いております。若くて才能がある方だと。見事な作品を見せて頂き、Nの言っていたことが良く分かりました。ぜひ、貴方にお願いしたい。
お話を伺って、その想いを強くしました」静かな物言いだが、断る隙を与えないようなY氏の鋭い目付きに、たじろいたが、作品を評価してくれた嬉しさも手伝い、依頼品を聞くことにした。

「ある物とは何でしょうか」
「ドアノブです」
「ドア・ノブ?」
「ドアの取っ手です。男根の形をした」
「ダンコン?」
「男性器です。それも勃起した」
「えっ!」余りの驚きに目を見開いた僕は、言葉をなくした。



信じられない依頼に、茫然自失した僕は、ホテルから自宅のアパートまで、どのように戻ったかも、思い出せないほど衰弱していた。
部屋に入るなり、ベッドに倒れこんだ。目を閉じると、無理な注文を何度も詫び、深々と頭を下げるY氏の真摯な姿が浮かんだが、気になるのは、僕を部屋に招き入れた、あの青年のことだった。
妖艶と形容してもいいだろう、その容姿容貌だった。Y氏は身の回りのことを手伝わせていると僕に紹介したが、どういう関係なのだろう。彫刻師の作品は、単なる張り形で、満足できる物ではなかったと言っていた。
求めるものは、性具ではなく、妄想を掻き立てるようなものだと言っていた。僕の「手首」のような、色々な想いが、感じ取れるような作品だと。

Y氏はすべてを僕に任せると言っていた。納期も問わないと言っていた。僕に彫れるだろうか。
僕はいつまでも天井を見詰めていた。

続く。


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