夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ひと夏の経験 2

「サッシはいつも鍵を掛けてないから」
10階建のマンションの高層階とはいえ、普段から鍵を掛けないとは、不用心ではないか。
世の中信じられない手口で空き巣をはたらく輩がいるのだ……とは言っても今さら幽霊に注意しても無意味なことだな。

俺はとりあえず状況を判断するつもりでベランダに出た。
熱帯夜の暑気を帯びた空気が肌にへばりつく。
向かいのマンションの通路には人影はなく、下の幹線道路を走る車もなかった。エアコンの室外機だけが低い唸りを上げていた。
隣との境は見慣れた石膏ボードの仕切り板で塞がれています。火事でもないのに、仕切り板を蹴り破ることは当然まずい。
誰もない、ましてや亡くなりそうな住人の部屋に俺が闖入したことはすぐに分かり、空き巣の嫌疑をかけられるのは間違いありません。
幽霊のお隣さんが許可したなんて、誰も信じませんよね。
仕切り板の上の空間は室外機が邪魔をしています。
「ここからは無理ですね」
俺は肩をすくめお手上げのポーズをとった。

「ですからススッと手すりを伝わって……」
「ススッって、あなた、ここ何階だか、7階だよ、ナナカイ!」
「怒鳴らなくてもいいでしょ、自分の部屋ですから知っていますよ。大きな声をだしたら、よその人が起きちゃうでしょう」
「……ごめん」
「でもよ、あなたは幽霊だからススッと行けるだろうけど、こっちは生身の人間ですよ。
足でも滑らせたら、それこそあなたと同じになっちゃうでしょうが」
「だめでしょうか?」
「嫌です」
「祟るよ」


唇を尖らせ顎に手をやり考え込む俺にすがる幽霊。初対面なのにずいぶん馴れ馴れしい態度だが、腕を握られている感触は全くない。
幽霊の言うとおり、残る方法は手すりの外側から入るしかなさそうだ。
手すりから身を乗り出すと、幸か不幸かつま先立ちできる狭い足場がある。
その時、真下の歩道を横切る黒い物体に目がいく。黒猫だ。不吉な予感……。
頭上の気配を感じたのか、立ち止まりマンションを見上げる黒猫の黄色い瞳が俺を見詰める。
シッシ、あっちに行け!

隣のベランダの手すりとの間にタイル壁の幅が目測で1メートル。思いきり腕を伸ばせば隣の手すりに届くか微妙な距離だ。
両手をすり合わせ懇願する幽霊。
仕事柄、病院の待合室で嘆き悲しむ患者の家族を何度も目の当たりにしている俺は、厄介なことに巻き込まれてしまった後悔と病魔に突然襲われた不幸な男への同情が交差する。
しかし、なにより祟りが怖い。

部屋のドアの鍵を外したことを確認した俺は、ベランダで準備運動しながら頭の中でシュミレーションした。
両手の脂汗をタオルで拭いベランダの手すりを握る。誰かが、下着姿の俺の不審な行動に気が付き、警察に通報されないことを祈り、頬を叩き気合を入れた。
内村航平を気どる。
まず右ひざを手すりに乗せ慎重に跨ぐ。ここでバランスを崩したら、幽霊と仲良く手を取り彼の世行決定だ。
下は絶対に見ないことに決めていた。おいでおいでと手招きする黒猫と視線を合わせたくない。
右足のつま先で足場を探る。素足にコンクリートのざらっとした感触。着地させたつま先で身体を支え、慎重に左足を外側に出す。
第一段階完了。
つま先立ちし、手すりを抱えるようにして境まで一歩ずつ横に移動する。
第二段階完了。

左手で手すりを握り締め、右手の五本の指をタイルに擦り這わせ隣の手すりまで伸ばす。
もう少し、もうちょっと……よし、どうにか手すりを掴むことはできたが、もう後戻りはできない。
やるしかない。
股を大きく開き、精一杯伸ばしたつま先で隣の足場を探る。親指に足場の感触が伝わる。
手すりを握った右手に思いっきり握力を込める。あとは重心を右側に移動させ、左手を離すと同時に左つま先を足場に着地させればいい。
幽霊はすでに自分の部屋のベランダで両手を握り締め、ガンバレ、ガンバレと声援を送っている。
腕が痺れてきた。もう考えている暇はない。スパイダーマンになりきった俺は、カウントした。

スリー・ツー・ワン・ゴ―!

ウァ~~~!!


ベランダに転げ落ち腰を抜かした俺は、乱暴にサッシを開け幽霊の部屋に転がり込んだ。
ギンギンに冷えた空気がなんとも気持ちがいい。生きている喜びを実感!
幽霊の音のしない盛大な拍手で迎えられ、決死の大移動を無事やり遂げた達成感に、幽霊と手を取り合い喜びました。
無事任務終了ス。

飲んで、飲んでと冷蔵庫を開けようとするが、幽霊には開けられなくて、失礼しますと断って、レモンサワーを取り出し床に座り込む。冷たいサワーが喉に染みる。一気に飲み干し派手なゲップを一発、幽霊から笑みがこぼれる。

ほっと息をつき、幽霊の部屋を見まわす。自分の部屋と同じ造作だが、やはり他人の部屋だからか、違和感を覚える。
俺と歳差がない男のひとり住まいの部屋にしては、いやにすっきりしている。綺麗好きな男って神経質だよな。
それにこの匂い、トイレの芳香剤とは別物の部屋に漂う甘い香りはなんだ?
ノートパソコンと充電中のスマホが置かれたテーブル、きちんと整ったベッド、脱いだ靴下、丸めたティッシュすら落ちていない床、
特別散らかった様子もいないのに、他人に命をかけさせてまで片づけを頼んだ幽霊の思惑に首を傾げた。

「あのさ……どこを片づければいいのよ?」
「そう、そう、そうでした。安心して大事なことを忘れていました」
「クローゼットの中を片づけてもらいたくて。開けてください」
勝手知った俺は、同じ造りのクローゼットの折れ戸を開きました。
隙間なくハンガーに掛かった洋服、積み上げられた衣裳ケースと靴箱が収納されています。
だらしない俺とは違い、クローゼットの中もきちんと整頓されていて、まるでモデルルームの見本のようでした。
「お願いするのは、私が指示した物すべてをクローゼットから出してほしいのです」

にわか引っ越し業者になった俺は、指示通り、まずは衣装ケースを床に並べ、ハンガーから下ろした洋服をその上に重ね、靴箱は三和土に積み上げた。
洋服はすべて女性物だった。なるほど、幽霊は持ち主の女性と世を忍ぶ付き合いをしていたのかもしれない。
ここは二人の愛の巣。だから遺族に知られたくない。付き合いの証拠がなければ誰も怪しむことがない。
幽霊は安心して冥土に旅立てる……。
お馴染みの不倫関係?
女性と手も握ったことない俺は、幽霊が妬ましくも羨ましくも思えてなりませんでした。

「さて、これをどこに運びます?俺クルマ持っていませんが」
「あなたの部屋に」
「俺の部屋ですか?」
「とりあえずお願いします」
すぐに彼女が取りに来るのだろうと思い、その時は深く考えることはありませんでした。
何の苦労もなくドアから部屋に入れることの有り難さ、幽霊が見守る中、すべての荷物を運び終えます。
真夜中の引越し、夜逃げの手伝いの心境です。

ただでさえ散らかった部屋に大量の荷物、足の踏み場もないとはこういう状態のことを言うのでしょうね。
「申し遅れました。わたくし704号室の小早川です。この度は本当にありがとうございました。助かりました」
幽霊は深々と頭を下げました。幽霊に礼を言われたのは、たぶん俺だけだな。
「どうなることかと思いましたがお役に立てて。705の遠山です」
「これで私は病院に戻ります。私を呼ぶ声がしますので」
幽霊は俺の前から音もなく消えました。


つづく。


にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL短編小説へ
にほんブログ村


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://nighttale.blog97.fc2.com/tb.php/147-9ad237c4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。