夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

チコ 15

その晩夕食を済ませた公彦はファッション雑誌を広げた。
女性誌など一度も買ったことはない公彦が衝動的に買ってしまったは、微笑む黒田知永子を一目見て、
なぜか惹かれるものを感じてしまったからだ。
それは美人に目がいくといった普通の成人男子の目線に他ならないと自覚しはていたが……。

黒田知永子はこの雑誌の専属モデルのようで、彼女のスタイル画が巻頭から多くのページを占めていた。
ページを捲っては食い入るように見つめる公彦の様子は、贔屓のファッションモデルを真似ようとする
女子に見えたかもしれない。

付きあ合っていた男は芳村のような嗜好はなかった。
年齢相応の素のままの男子が好みで、公彦に特別な要求をすることはなかったが、
公彦に向ける男の興奮は十分すぎる程で、公彦もそれが嬉しく、
男以上の興奮を晒しては男の望む行為を受け入れていた。
身体の自由を奪われ羞恥に全身を紅潮させ、溢れる快感を滴らせては男の許しを哀願していた。

風呂上がりの洗面所で鏡に向かった公彦は、濡れた前髪を両手で掻き上げてみる。
やや面長の見慣れた年相応の男の顔。二十歳過ぎても髭は薄く、職場の女子からは色白だねと揶揄されている。
顔を鏡に近づけ横顔を映し、上を向きそして俯く。
頬を膨らませ唇を突き出してみる。どの角度から見ても男の顔にしか見えない。
ばかばかしくなった公彦は洗面所の灯りを消した。


ある経済団体の職員である公彦の日常がはじまる。
作成した資料を持参して会員企業へご機嫌伺いに出向く。行政の経済担当者との会議、企業イベントの手伝い。
安定した職業と言われればそれまでだが、贅沢な悩みだが利益を追求する企業と違い、
社会人の本分を見失うこともある。

退社時間を見計らったようにリュウからメールが届いた。
リュウから相原を紹介され、相原と面会したことは報告済みだったが、
相原から会うように指示された芳村という男と会ったことは、
男の第一印象の余りの悪るさからリュウにはまだ知れせていなかった。
事の顛末を気にしたメールの文面に公彦は夕食の誘いを受け返信した。

買い物客で賑う昼の新宿は夜のなると華やかな色が灯りまた別の表情を見せる。
リュウから指定されたビルの地下にあるビストロのドアを開けると、すでにテーブルに座っていたリュウは
公彦に片手を上げた。リュウも仕事帰りなのだろう、着慣れたビジネススーツの襟元を緩め寛いでいた。
挨拶代わりの乾杯を済ませ、相原を紹介してくれたことに改めて礼を述べる。
紹介した手前どうしたか気になっていたよと、リュウは仕事仲間の後輩を気遣う先輩のようだった。

相原とは馬が合ったのかい。
リュウの揶揄するような問い掛けに公彦は、相原に悩みを打ち明け我儘な寂しさを吐露したこと、
真摯に耳を傾けてくれる相原に付き合っていた男の姿をダブらせ、
初対面ながら穏やかな相原に惹かれてしまったことを話した。
さすがに相原から恥ずかしい身体検査を受け欲求不満を中途半端に煽られ、
続きは芳村にしてもらえと帰されたことは言えなかったが。

それで相原は……冴えない表情を浮かべる公彦を見て成り行きを察したリュウは溜息をつき肩を落としたが、
公彦の話の続きに、傷心の公彦を労わるように運ばれた料理を皿に取り分けていたリュウの手が止まった。
えっ、別な男を紹介された!
相原の性癖を少なからず知るリュウは、公彦を必ず気に入ると考えていた。
予想もしていなった展開に思わず声を上げた。

黒田知永子というファッションモデル、名前の知永子からチコと呼ばれていることもリュウは知っていた。
その目つきの悪い芳村という男は、チコのようになれと言い残し帰ってしまった。
付き合うかやめるか決めるのは公彦次第ということか……腕組みしたリュウは公彦の話を反芻する。
不快な気分にさせた芳村の鼻を明かしてやりたいのはやまやまだが芳村の本意が分からない。
でも興味があるということかな。
悩む公彦の様子を見てリュウは公彦の胸の内を言い当てる。

異性でも同性でもそれぞれ好みがあるということさ。女性は求めてはいない。
身も心も女性になりきった男とも違う。一見しただけだと性別の判断がつかない男が好みだということだな。
矛盾してないかって、そもそも僕たちははじめから矛盾しているのさ。
矛盾した者同士だからお互いの気持ちが分かって惹かれ合って仲良くできるのさ。
リュウの理屈が公彦の腑に音を立てて落ちた。公彦が芳村の琴線に触れたことは確かさ。
黒田知永子か……
ちょっと似ているかも。ほんのり桜色に染まったリュウは公彦の顔を繁々と見詰め白い歯を見せた。


眉の手入れは自分でも驚くほど上手くいった。
職場では特別な決まりはないが、見苦しくない髪型にするようにと規定されている。
長髪はもちろん染めている者は誰もいない。
問題のヘアスタイルはウィッグを被ることで解決した。
リュウのアドバイスに従い痛い出費だったが値の張るものを注文した。

毎晩、部屋に積まれたファッション雑誌の山を崩しては、白の開襟シャツに細身の黒のパンツを合わることを決め、
自分なりの黒田知永子のスタイルを作り上げた。
すべての物が揃った夜更け、鏡に映る自分の姿に公彦から笑みがこぼれた。
変身願望があった訳ではなかったが、別人になりきったもう一人の自分を容易く受け入れていた。
自然と立ち振る舞いが女性のように柔らかくなってしまうことが不思議だった。

芳村に連絡を取ると公彦はさらなる要求を突き付けられた。
それは芳村のフェチズムを押し付けるものだったが、芳村もその気になり、再会の目的が
公彦の望む方向に向かったことを理解した。
チコのような大人の女性が身に着ける下着で来い。公彦は素直に芳村の矛盾を受け入れた。

期待と不安が交錯した日々を送り日増しに膨らむ欲望を抱え、公彦は待ち合わせの伊勢丹の玄関に立つ。
前を通り過ぎる人たちの視線が気になり落ち着かない。

時間通りに現れた芳村は公彦を見るなり満足げな表情を見せ、公彦は胸を撫で下ろした。
迷惑を掛けたと慰労するように芳村は上階のイタリアンレストランへ公彦を誘う。
密かな逢瀬のはじまりに胸の高まりを隠せない公彦を、敢えて混雑したレストランに連れ込んだ芳村の思惑。

生まれ変わったようだとはにかむ公彦に向けた容赦のない芳村の加虐の性。
突き付けられた理不尽な要求に公彦は凍り付いた。
公彦に露出趣味がないことは芳村には分かっていた。
イエスかノーか。有無を言わさず無表情で迫る芳村は別れた男の影を霧散させた。

羞恥に指の震えが止まらない。
耳まで赤くした公彦はナプキンをテーブルに置き腰を浮かせ、パンツのジッパーが音を立てないように下ろした。
隣のテーブルで耳をそばだてていた有閑マダムに電話番号のメモを渡されたのは、
今では愉快な思い出になっている。



膝を寄せ合い仲睦まじくアルバムを見入る妙子とチコ。
妙子はあれこれ悩んだ末、色白を際立たせるようにと胸元をフリルで飾った黒いサテンのブラウスと
同色のバギーパンツを選んでくれた。
髪は栗毛色のものに変え見違えたチコの容姿。改めて写真を見ると、今では過剰な演出だったような気もしたが、
芳村の私設秘書になった今は、写真のような姿を要求されることはなくなり、一抹の寂しさを覚えることもある。

「いろいろなことを思い出します。はじめて芳村と会ったとき怖い人だなって」
「自分とは性が合わないと思っていました。なんでそんなにチコにこだわるのだろう、
どうして次から次に無理難題を吹っ掛けるのか」
「試していたのね。どこまで本気になってくれるか」
芳村のお先棒の一端を担いたことを妙子は承知していた。

試されていた!レストランから芳村の待つ駐車場に逃げ帰り、芳村のクルマを無理やり運転させられ、
芳村の住むホテルに連れ込まれた挙句、芳村と妙子の痴態を見せつけられたことも、
自分を試す芳村の方便だったというのか……。

「私もね、あの時は芳村さんのこだわりが分からなかった」
「薄々気が付いていたけれど、女性のような形をした男性が好きだったのねと……
女の私としては複雑な心境だったわ」
妙子はアルバムに目を落とした。
「でもね、芳村さんに仕えるようになったチコちゃんを見て思い出したの、やっと分かった」
「芳村さんチコちゃんと会って、ピンと来たのよ」

「――ピンとですか」
「ある人にそっくりだって気が付いたのね」
「そのある人って、ファッションモデルの……」
「ううん、彼女の雰囲気がその人に似ていただけ」
「芳村さんが女性に興味がないことは長い付き合いで分かったいたわ」
「自宅の応接間に掛かっている油絵の肖像画の人物に。美少年とは違うわね、好青年」
「誰ですか」
「お父様の親友だって聞いたわ」
「芳村さんだもの、詳しいことは話さなかったわ。だから私も聞けなかった」
「浜田山にお呼ばれすることがあったら聞いてごらんなさい。チコちゃんになら話してくれるかも」
「もうおしゃべりはおしまい。肩を揉んで頂戴」
チコと昔話をしているうちに妙子も、初対面のチコに芳村との性行為を見られた恥ずかしい光景を思い出してしまい、
話を打ち切るようにアルバムを閉じチコに背中を向けた。


ソファーに片膝着いたチコは妙子の両肩に手を置く。
妙子の小さな身体を改めて知る。はじめは柔らかく徐々に指に力を籠める。妙子の言う通り左肩が凝っていた。
図らずも今日妙子の生い立ちを知り、この小さな身体で目の前に立ちはだかる幾つもの壁を乗り越えきたことに驚く。
もし芳村と出会わなければまた別の人生を送っていた。
それはチコも同じことだ。巷では快人物と評されることもある芳村に魅力を感じ、
すべてを芳村に捧げた妙子の覚悟が手の平から伝わる。

妙子の右手が左肩を揉むチコの手をそっと握り左胸の膨らみに導き手を重ねる。
思わず息をのむチコ。
白いニットを通して触れた柔らかな乳房の感触。妙子は力を無くしたチコの両腕を胸の上で交差させ、
チコは背中から妙子を抱き締めた。
頬を寄せた二人の唇が触れる。
目を閉じ抱き合う二人の唇が重なり深い口付けを交わす。
ソファーに崩れた妙子に覆い被さり身体の輪郭に手を這わす。
荒い息を受け止め合った唇が離れ、チコと妙子は潤んだ瞳で見詰め合った。
理屈も言い訳もいらない。今夜二人は成るべくして成ったことを認め合った。

薄明りのベッドの上で服を脱がせ合い素肌を重ねた二人。
ぎこちないチコの愛撫に身を委ねる妙子。
チコの唇を左の乳房に誘う。
吸われた乳房から引き出される快感に胸を反らせる妙子。
もっと強くもっと強くとチコの頭を押さえつける。
今夜だけ男になってくれたチコの熱い性器に指を絡める。
愛しさが込み上げ愛撫を捧げる。
妙子は開いた股間にチコの腰を割り込ませる。
なかなか入ってこないチコの焦りが妙子に伝わり、チコは経験がなかったことを思い出し嬉しさが込み上げる。
チコの脈動する性器に手を添わせ潤む性器のとば口に導く。
目を瞑りゆっくりと腰を沈めるチコに抱きつき、甘色に染まった吐息をチコの首筋に漏らし奥まで入ったこと知らせた。
はじめて女性の一番柔らかな場所を探り当てたチコは長い吐息で妙子に応えた。
想いが叶った歓びで妙子は全身を震わせた。もう思い残すことは何もない。



週が変わり、チコは日課である芳村の着替えを手伝いながら妙子への訪問の件を報告した。
妙子から昔話を聞いたことを話したが、芳村は興味ないとばかりに今日のスケジュールに話題を移してしまった。
今週も芳村の予定は多忙を極めていた。
チコは芳村の身体を心配すると、いつものように曖昧な返事を繰り返すだけだった。

夕食を兼ねた会合が長引き、夜遅くホテルに芳村を届けた。
降り際芳村は、明日はいつもより早い時間にに来るよにとチコに命じ部屋に戻ってしまった。
今週のスケジュール表を開くと明日木曜日の午前中は空欄になっていた。
急の予定が入ったことだと納得し、帰路に就いた。

翌朝、指示された時刻の30分前に部屋に入ると、芳村はすでに身支度を終えていた。
「少し早いがいいだろう」芳村は腕時計を一瞥し立ち上がった。
地下の駐車場で後席に芳村を乗せ、運転席から振り返り行き先を尋ねる。
「チコ、有明の癌研に行ってくれ。高速は渋滞が心配だから下で行け」
「――癌研ですか!」やはり芳村は具合が悪かったのか……。
「保証人として妙子の乳がんの手術に立ち会う」
「ええっ、妙子さん!」

取り乱したチコは、指の震えでナビの操作が上手くできない。
週末の夜の二人の抱擁、しなやかな妙子の肢体、柔らかな乳房の感触が蘇る。
具合が悪いような素振りなど全く感じられなかった。
頭が混乱して運転に集中できない。
ミラーに映る目を閉じ腕組みする芳村の様子が気になる。
チコはただナビの指示通り国道を南下し左に曲がり海沿いの道を走る。
いつの間に渡りきったのかレインボーブリッジを下り、湾岸道路を有明へとアクセルを踏み込む。
ナビは目的地の到着を知らせた。

癌研有明病院。
地下駐車場は入庫の車列が出来ていた。芳村は運転席で待てとチコ命じドアを開け出ていってしまった。
芳村を押しのけても妙子の許へ駆けつけたかった。
しかし今のチコはクルマを離れることは許されない。チコは思い切りステアリングを叩いた。

エレベーターを降りた芳村は、静かな病棟の廊下を進み病室のドアをノックした。
中から妙子の声が聞こえドアを開けた。奥のベッドの淵に手術着に着替えた妙子が座っていた。
芳村を見た妙子の表情が華やぐ。

「お忙しいのにわざわざ来てくれたの。嬉しいわ」
「どうだ調子は」
「俎板の鯉の心境よ」
「何から何までお世話になって、迷惑掛けっぱなしで……」
「妙子、下らんことに気を遣うな。自分の身体のことだけ考えろ」
「窪田に任せたが、いい部屋だな。病室にしておくには勿体ないな」
自然色で揃えた家具が置かれたモダンなデザインの個室だった。
広い窓辺に立った芳村は眺望に目を細める。眼下に東京湾が朝日に輝いていた。
「夜になるとね、灯りが点滅した飛行機がゆっくり旋回するのが見えるの」
ソファーに腰かけた妙子の脇に芳村も腰を下ろした。

「たい焼きご馳走様。美味しく頂きました。覚えてくれていたとは思いもしなかったわ」
「覚えているさ。妙子のことは何もかも」
「たい焼き食べながら、チコちゃんと昔話をしたわ。いろいろなこと思い出しちゃった」
思い出し笑いした妙子は芳村の手を握った。

「チコちゃんに肩揉みしてもらっちゃたの」
「チコは運転は下手だが、肩揉みは上手い」
「チコちゃん優しかった……」
「――そうか。チコはいい恩返しができたな」
「チコちゃんは」
「駐車場で待たせている。待つのがチコの仕事だ」
「チコのことだ、私の目を盗んでも見舞に来る。チコには元気な姿を見せてやれ」
「いいな妙子」


ご愛読に感謝。チコの新たなストーリーはまたどこかで。


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