夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

チコ 11

このところ芳村の様子がおかしいとチコは感じていた。新年から多忙なスケジュールをこなし、
賀詞交歓会にもすべて出席し、チコの知る限りではビジネス上の問題は無いように思えたが、
デスクに座り腕を組み、宙を見つめ何事か思案する様子を度々目にしていた。
さらにチコの心配に拍車を掛けたのは、ホテルドクターの羽生医師の診療室に足蹴に通うことだった。
思い余ってチコは芳村の健康を心配し尋ねたが、曖昧な返答を繰り返す芳村に、チコはそれ以上聞くことはできなかった。

この冬はじめて、東京も最低気温が0度を記録した寒空の週末、日課である芳村の身支度を手伝ったチコは、妙子の自宅に行くように命じられた。
「チコ、これを妙子に渡してくれ」
芳村はデスクの抽斗から白い封筒を取り出し、チコに手渡した。
何か大事な書類が入っているのだろうか、受け取った封筒は糊付けしてあった。
「妙子の好きな白い花……いや、花はだめだ。甘いものを手土産に買ってくれ」
「甘い物ですか。チョコレートでしょうか?」
「チョコではなく――たい焼きを買ってくれ」
「たい焼きですか……」
芳村から意外な物を指定され、チコは驚いた。
「妙子の好物なんだ。悪いが人形町の甘酒横丁に寄ってから行ってくれ。あそこのたい焼きが妙子のお気に入りだから」
「チコ、クルマは置いていけ。タクシーで行け。それと今日はもう、戻ってこなくていい」
「分かりました」
妙子としばらく会うことがなかったチコの気持ちを察したように芳村は命じた。
クルマの鍵をデスクに置いたチコは、普段運転しない芳村がクルマを使うのだろうか、珍しいことがあるものだと訝った。


白いタートルのニットにストレッチパンツ姿のラフな部屋着でドアを開けた妙子は、チコの顔を見るなり笑みを浮かべ手を引き、
リビングに招き入れた。
間接照明だけのリビングルーム、フランス製のソファー、壁に掛けられた絵はエッチングに替わっていたが、
芳村が突き付けた難題に困苦するチコに、救いの手を差し伸べてくれた妙子の部屋に通っていたあの頃と変わっていなかった。額の下に、バカラの花入れに白い蘭の花が優雅な弧を描き、白い花が好きだと言った芳村の言葉を思い出した。

「妙子さんご無沙汰しています」
「本当にご無沙汰。最近お店にも顔を出してくれないし、連絡もよこさないだから。
芳村さんに私と会っちゃいけないと言われているんでしょ、もう!」
頬を大袈裟に膨らませ、少女のように拗ねてみせた。
「ち、ちがいます。芳村はそんなこと一言も……ご承知のように芳村多忙を極めて、夜に出掛けることもありません」
「そう……じゃチコちゃん毎晩可愛がってもらっているのね」
「そんなこと……」
妙子は顔を赤らめ困惑するチコをからかった。
「妙子さん、今日お邪魔したのは芳村にこれをお渡しするようにと託ってきました」
チコは鞄から封筒を取り出しテーブルの上に置いた。
「それと、これは芳村から直々に頼まれて、たい焼きを買ってきました」
封筒を見るなり妙子の表情が一瞬曇ったように見えたが、たい焼きと聞いた妙子の大喜びする様子を見たチコは、
自分の思い違いだと思った。

「私これ大好物なの。お茶入れるから、一緒に食べよう」
お茶の支度に立った妙子は、なぜ芳村が今日チコに、あのたい焼きを持たせたのか、なぜあえて今日なのか、
今日だからなのか……芳村の考えに思いあぐねた妙子はチコに背を向け何気な口調をよそおい話しかけた。
「チコちゃん、今日時間は?」
「大丈夫です。今日は特別用事がないからホテルに戻らなくていいと言われました。
それに芳村、珍しくクルマを使うようで、タクシーで行けと言われました。妙子さん、出勤は三時ですか?」
「ううん、今日はちょっとズル休み。チコちゃんが来てくれたから」
「えっ、僕が来たからですか?」
「嘘よ。お休みは前々から決めていたの。今夜は順子さんに任せたの」
髪をアップに結い目鼻立ちがはっきりしたチーママ順子さんをチコは思い浮かべた。
妙子さんに劣らず華がある印象が記憶に残っていた。

「じゃ今日はゆっくりできるね。本当にしばらくぶりね、チコちゃんとお話しするの」
芳村との付き合いが長い妙子はチコからの話を聞き、芳村の思惑を理解した。
それは妙子への思い遣りなのか、それとも残酷な慈悲なのか……
それを判断するのは妙子自身だと、芳村は何も知らないチコの口を借り言わせたのだ。
しかし、どちらにしても今日一日、それとも明日の朝までチコを傍における許しを得た妙子は、芳村に感謝した。

たい焼きに両手を合わせ、お辞儀した妙子は頭からかぶりついた。
「おいしい!昔と変わらない。芳村さんに言われたわ。たい焼きは頭から食べろって。
芳村さん覚えていてくれたんだ。ここのたい焼きには昔ね大変お世話になったのよ」
「お世話にですか?」
「芳村さんから聞いていない?」
「いえ、なにも……今日はじめて妙子さんの好物だからと言われました」
「そう……芳村さんらしい。あの人ご自分のことほとんどしゃべらないから」
妙子の言うとおり、プライベートなことを話すことはない芳村に、チコもあえて聞くこともなかった。

「私ね、この世界、水商売に入る前、兜町の証券会社にお勤めしていたの。
もうウン十年も前のことだけど――二流の短大出の小娘がいきなり本店勤務に採用されて、ちょっと鼻も高かったけど、
希望に溢れていていたわ」
「一通りの証券業務を覚えて、配属されたのは幾つもある営業部のひとつでね、仕事はお得意様へのあいさつ回りと新規の顧客を取ること」
「新人の女子なんか、なかなか相手にしてくれなくて、とにかく顔と名前を憶えてもらわなくちゃ商売にならないから、
名刺に一言メッセージを書いたり、値上がり業種を書き込んだりいろいろしたわ」
はじめて聞く妙子の過去に、チコは大いに興味を惹かれた。たい焼きを頬張る口が止まっていた。

「少しずつ話を聞いてくれるお客様が付いて、取引してもらえることになって、タオルとか石鹸とか会社が支給する粗品と一緒に、自分のポケットマネーでたい焼きを持って行ったの」
「お店はどうにか歩いてでも行ける距離だったし、なにより目出鯛って縁起を担いだのよ。どのお客様も喜んでくれたわ」
「たい焼きが縁で新規のお客様を紹介していただいたりして――まあ時代もよかったんだけど、女子社員では営業成績でトップになって、上得意の顧客担当にまわされたの」

「上司と一緒に訪問するんだけど、早く言えば上司の鞄持ちね」
「相手が上客だけに緊張したわ。粗相があってはいけないし、かと言って売り込まなければいけない。今思い出しても神経を使った時だったわ」
「でもね、上司は苦笑いしていたけれど、ここでも手土産のたい焼きの効果はバッグンで、高額の取引をしてもらえたわ」
妙子は遠い過去を懐かしむような眼差しをたい焼きに向けた。

「小舟町に三階建てのビルがあって、今はもう立派なビルに替わっているけど。その三階に芳村さんが不動産の事務所を構えていたの」
「当時芳村さんは兜町界隈で、個人投資家としてちょっと有名人だったの。でもうちとは、まったく取引が無くてね」
「あの頃手数料はどの証券会社も同じだったから仕方がないだけれど。それでも若気の至りというか、どうにか取引をしてもらおうと営業に出掛けたの」

「芳村さんと男性二人と女性一人の小さな事務所で、入り口のカウンターで挨拶しても、誰も振り向きもしないのよ」
「私もトップセールスの意地があって毎日行ったわ。名刺に推奨銘柄とか、書くことが無い時は明日の天気予報とか……必死だった」
「何ヶ月通ったかしら、ある時カウンターの下に丸い屑籠が出してあって、私の名刺が全部捨てられていたの。絶句したわ」
「涙の溢れるのを必死で我慢しても、もう駄目だ、諦めようと思ったわ。そしたらね、事務所の奥に座っていた芳村さんが、声を掛けてきたの。その時芳村さんの声をはじめて聞いたわ」

「忘れもしないわ。『西野さん、あなたの役に立たない情報じゃなくて、たまにはたい焼き持ってきてよ。あなた、たい焼き娘って言われているんでしょ』って笑いながら言ったのよ」
「名前を憶えてもらったのは嬉しかったわ。だから次の日後場が終わると、急いで会社の自転車でたい焼き買って届けたの」
「ありがとうのひと言もなかったけど、こっちも女の意地ね、日経平均が上がった日には必ず届けたわ。お疲れ様ですって頭下げてね」

「しばらくたって、また届けに行ったら、怖い顔した芳村さんが席を立ってカウンターに出てきたの。怒鳴られると思ったわ、観念したわ」
「そしたらね、何と言ったと思う――『西野さん、うちが四人だから一人で二個、八個と計算しているんだろうけど、それじゃ八方ふさがりだ。今度から五個にしてくれ、ご縁があるようにとな。口座作るから明日書類持ってきな』って、嬉しくて泣いたわ。人前で泣いたのはじめてだった……」
目尻を指先で拭う妙子に、チコまでも目頭を熱くさせていた。

「でもね、それからが大変だったの」
「芳村さんとの取引はどんどん大きくなって、会社から金一封なんか頂いたりして、順風満帆だったんだけど、今度は同僚の男性社員から苛めに遇ったわ」
「チコちゃんなら分かるかしら、男の嫉妬ね」
「いろんなこと陰で言われて、ここは男性社会なんだとその時やっと気付いたわ。証券会社の女子社員は二、三年務めて寿退社していくところなの」
「二十七歳になった私、もう立派なお局よ。仕事一途で恋愛する暇もなくてさ、何だかやる気が無くなっちゃって……でも三十まで頑張ろうって」


「平成になった年よ。もう我慢の限界で、三月に退職することにしたの」
「株価は一本調子に上がって、会社はこの世の春を謳歌していて、小娘一人辞めたってどうってことない雰囲気だったわ」
「すべてのお得意様に退職のご挨拶に行って、残念がってくれたお客様に頭を下げて」
「別の証券会社から誘いもあったけど、もうこりごり。もちろん芳村さんのところにもご挨拶に伺ったわ」
「芳村さん気のない返事して、これからどうするのって聞くから、いい人見つけて結婚しますなんて、しゃあしゃあ言っちゃってね」
「正直言っちゃうと、ちょっと惹かれるところがあったの、芳村さんに。でもいつも気難し顔して他人を寄せ付けないところがあって、今もそうよねチコちゃん」
可笑しさを咳払いで誤魔化したチコは、何度も小さく頷いた。

「芳村さんその時言ったの」
「年内早いうちに株取引から手を引くって。芳村さんの儲けを知っていたから、唖然としたら、なにも君が辞めるからじゃない、他の会社のもすべてだ。勘違いするなって怒鳴られたわ」
「なぜですかって聞いら、次の事業に十分な資金の目途が立ったって。でも不思議。私の持っている自社株も、退職を機に全部処分しろって、命令されたわ」


つづく。


にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL短編小説へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://nighttale.blog97.fc2.com/tb.php/134-1155a508
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad