夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

薔薇の応援団長 後編

約束の日曜日は、厚い雲に覆われ、私の気分のように重苦しい日でした。
母は休日出勤で朝から家にはいませんでした。休日登校の言い訳を考えずに済むことに安堵しました。
用務員さんに弱みを握られている手前、約束を破るわけにはいきません。溜息を繰り返し、憂鬱な気分で詰襟に着替え、重い足取りで中学校に向かいました。

頑丈な鉄柵の校門は鍵が掛かっていましたが、校舎の裏手にある通用門の錆の浮いた扉は鈍い音を立て開きました。
用務員室は校舎から離れたプールの隣に建つ倉庫の一角にあります。
私は誰もいない静かな校庭を横切り、用務員室を目指しました。
木製のドアと曇りガラスの窓は閉まっていましたが、中から流行っている「神田川」が漏れ聞こえてきます。
かぐや姫というフォークグループの曲で物悲しいメロディーです。母はテレビでこの曲が流れると、感慨にふけるように聴き入っています。

「二年の及川です」
ドアをノックし来訪を告げました。
中から人の動く気配がして、内側からドアが開きました。休日でも用事があるのでしょうか、普段通りの作業着の用務員さんが顔を覗かせました。
先日の出来事が瞬時に蘇り緊張します。
一礼した私は、コンクリートの三和土に靴を揃えて、小さな流しとコンロ台がある板の間に上がりました。
折り畳みの食卓机を挟んで置かれた座布団に座るように言われ、私は薄い座布団に畏まりました。
食器戸棚の上に置かれたラジオを止めた用務員さんは、私に向かい合いゆっくりと腰を下ろしました。

「用務員さん、こないだは、ご迷惑を掛けました。ごめんなさい」
私は開口一番、自分の犯した行為を謝りました。
「先生に内緒にしてもらい、ありがとうございます」
「うん。渡辺先生の学校での立場があるからね。直属の教え子が校内で盗みを働いたことを知ったら、気の毒だ」
「及川君、君も私との約束を守り、大切な休みの日に来てくれたことで、十分に反省していることはよくわかりました。今回の件は私の胸の内に収めておきます。安心しなさい」
「ありがとうございます」
頭を下げた私に用務員さんは何度も頷きました。用務員さんの温情に、胸のつかえが下りました。


用務員さんは、折角来たのだからと私に紅茶を淹れてくれました。
テーブルに並べた二つのホーローのカップに砂糖を入れ、香り付けにと食器戸棚の奥から茶色の小瓶を取り出し、君は未成年だけど、と言いながらも、私に断る隙も与えず、小さじ一杯のウィスキーを私のカップにも混ぜました。
甘い紅茶は、少しだけ大人の香りがしました。温かい飲み物に緊張がほぐれていくのがわかります。
胡坐をかき、寛いだ様子の用務員さんを見た私も膝を崩しました。

「ところで、君はお母さんと二人で暮らしているんだね?」
用務員さんは私の家庭のことを調べていたことに驚きました。学校職員ならそんなことは容易いことなのだろうと納得しました。
「――ええ……」
「お父さんは?」
「僕が小さい頃亡くなりました」
「そうでしたか…失礼なことを聞いてしまいました。許してください」
用務員さんの態度は紳士的でした。
「いえ、かまいません。父のことは記憶にないのです。仏壇の写真でこの人がお父さんだったのかと思うだけで……」
「寂しいですか?」
「いいえ、もう慣れました」


「及川君、私はこの学校に勤めてもう十年以上になります。縁がなくていまだに独り身で、普通なら君たちぐらいの子供がいてもおかしくない歳です」
「だから、生徒たちを見ていると、どの子も自分の子供のように可愛くてね」
紅茶を啜りながら照れ笑いする用務員さんに、私は温かい感情が湧きはじめてきました。

「及川君が憧れる、三年生の―吉澤さん。私たち職員も先生方も驚きましたけれど、あの活発さは、これから社会に出る女の子にも必要ではないのかなと思いました」
「女の子だからお淑やかに、男の子だから男らしく、これからは私の育った時代の古い価値観とは違っていくような気がしました」

「それでね、及川君の告白を聞いたときは、思春期の君の気持ちが分からなくて――自分の中学、高校時代を思い出したら、君の気持ちが少し分かりました。私も似たところがあったなと……」
私は用務員さんの話を神妙に聞いていました。

「――実はね、あれからいろいろ考えました。君から取り上げた物――あれは持ち主も分からない体育着で、ゴミとして焼却処分にしましたが、なんだか君に悪いことをしたようで…」
膝立ちした用務員さんは後ろの襖を開け、奥の薄暗い畳部屋から、紙袋を引きずり出し座りなおしました。
テーブルの飲み干した二つのカップを片付け、咳払いすると、紙袋の中から真新しい女子の体操着を取り出し、私の前に並べました。
驚きに息をのみ、目を見開いた私は、体育着と用務員さんの顔を交互に見返しました。

「これは私が買い求めた物ですが、君に差し上げようかと」
「――僕に、ですか……?」
「君が欲しかった物ですよね?」
想像すらしていなかった事の成り行きに、私は言葉が見つかりません。

「まあ、君に差し上げるのは、やぶさかではないですが――家に持ち帰って、もしお母さんの目に触れるようなことになったら、どうします?」
「困ります!」
「そうでしょう?一人息子が女子の体育着を持っていたなんて、理由も分からないお母さん、驚くだろうし、非常に悩むと思いますよ」
「大切なお母さんを悲しませることになるでしょうね」

「――用務員さんの言うこと、よく分かります……」
「思うに、お母さんには、男の気持ちというか、思春期の男の子の気持ちは、なかなか分からないでしょう」
「君がなぜ、女子の体育着が欲しがったのか――たとえて言えば、好きな歌手や俳優が身に着けている物を欲しがる、ファン心理と似ているように思うのですが……大好きなアイドルをより身近に感じることが出来る、それを身に着けた自分がアイドルになったような気分になれる」
「そうではありあせんか?及川君」
私はあの時、なぜあのような衝動に駆られたのか、用務員さんの言葉で整理できた気がしました。


「それでね、ひとつ私からの提案ですが――先程も言いましたが、私はどの生徒も自分の子供のようで可愛いのです。君とこうして女性には分からない男同士の話が出来て、なんだか君が自分の息子のような気すらしています」
「今日は、学校は休みで、偶然ですがクラブ活動の予定もない。学校に居るのは、君と私だけです。どうでしょう、ここで体育着に
着替えたらどうですか?」
「――今、ここで、ですか!」
「家に持って帰るわけにはいかんでしょう?――心配はいりません。可愛い息子のことを他言はしません。男同士の約束です」
「でも……」
「私も、君の応援団長姿が見たいのです。あの応援団長、吉澤さんを、もう一度見たいのです」
「二人だけの秘密です。秘密です。秘密、秘密……」
用務員さんの呪文のような言葉が、渋る私の背中を押しました。


食卓机を畳んだ用務員さんに促され、体育着を手渡された私は立ち上がりました。
奥の三畳間の狭い部屋は高みに小さな明り取りの窓があるだけで、電灯はありませんでした。
襖の陰に隠れ、詰襟のボタンを外しました。緊張と興奮で早まる鼓動で指が震えます。
ワイシャツ、ランニングシャツを脱ぎ、半袖の真っ白い体育着に着替えました。紅茶のせいでしょうか、寒いとは感じませんでした。
ベルトを外し、躊躇しましたが、ズボンを下ろし、バランスと取りながら、片脚ずつ下着の上から濃紺のブルマに脚を通しました。
きつい腰の締め付けは、やはり女子の体育着だからでしょうか、小柄な私でもサイズがかなり小さいように思えます。
黒い靴下が似合わないような気がしましたが、急いで詰襟を羽織ると、自然に背筋が伸び、吉澤団長に一歩近づいた気がしました。

私はすこしばかり得意気になって、買ってもらった洋服を母に披露するように、襖の陰から出ました。
「うん、うん。及川君、とても似合う。さあ、こっちに来て」
板の間で正座する用務員さんの前に立ちました。
笑みを浮かべ、私の全身に視線を走らす用務員さんに、恥ずかしさがこみ上げてきます。
「可愛い応援団長さんになりましたね。ああ、靴下が吉澤さんのとは違いますね。それに、鉢巻も締めないといけませんね。君は三組だから、黄色の鉢巻ですね。今度までに、用意しておきましょう」
用務員さんは何気ない物言いで、もう一度ここに来ることを私に約束させました。


「さあ、私に応援団長の勇姿を見せてください」
私は用務員さんの拍手に誘われ、両手広げました。今思い返すと、私は本当に子供でした。
用務員さんの手拍子に合わせ腕を回し、脚を蹴り上げ、それは目に焼き付いている、吉澤団長が私に乗り移ったような気がしました。
私の演舞を心から楽しむ用務員さんに、経験したことのない父との戯れを感じていました。




用務員さんから連絡を受け、二度目に用務員室を訪ねたのは、冬休みに入った、肌寒い昼下がりの午後でした。
大人の紅茶をご馳走になりながら、二学期の成績について聞かれました。正直、褒められた成績ではありませんでしたが、用務員さんは、私の努力を認め褒めてくださり、悪い気がしませんでした。

用務員さんに急き立てられ、いそいそと応援団長姿に着替え、小さな電気ストーブが低い唸りをあげた板の間に立ちます。
用意してくれた白いハイソックスに履き替え、また一歩、吉澤団長が身近になった気がします。


しかし、用務員さんの何気ない一言が、私と用務員さんとの奇妙な関係を、怪しい関係に発展させていきました。
「及川君、こんなこと言ってはなんだが、ブルマからパンツが見えている。女の子は直に履くものだ。さあ、脱いだ、脱いだ」
詰襟の裾を持ち上げると、確かにパンツがはみ出していました。男子の下着が女子の体育着より大きいのはあたりまえでした。
なんだか急に恥ずかしくなり、襖の陰に逃げ帰りました。
慌ててブルマを脱ぐと、何も考えずに下着を脱ぎ捨てました。二年生になってから、生え始めた陰毛に小さな性器がうずくまっています。

私を呼ぶ声に、急いで小さなブルマを穿きなおしました。
下半身包み込む、体感したことのない肌触りに膝が震えます。
身体の中で湧きはじめた、言葉にできない悩ましい感覚――頬が火照り、全身の血流がゆっくりと下半身に溜まるのが分かります。詰襟の裾を引っ張り、股間を隠しました。

用務員さんは黄色い鉢巻を両手で伸ばし、待っていました。
私の額に垂れた前髪を手で掻き上げ鉢巻を締めてくれました。
両肩にそっと両手を置かれ、壁に設えてある鏡の前に私を誘導します。縺れる脚を支えられ、全身が鏡に映る位置に私を立たせました。

「見てごらん。可愛い団長さんがいるね」
私の姿に目を細め、耳元で呟く、鏡の中の用務員さん。
鏡の中ではにかむ私に、あの時の吉澤団長の姿が重なります。私は夢にまで見た、吉澤団長のすべてが自分のものになった錯覚に囚われ、抑えきれない異常な興奮に襲われました。


私の身体の変化が伝わったのでしょう、詰襟のボタンをひとつ、またひとつと外していく用務員さんの指の動きを見つめ、肌蹴た詰襟から体育着が鏡に映り、さらなる興奮に、為す術もありません。
私の欲望に忠実に動く、用務員さんの手は、胸から下腹にゆっくりと下がり、股間に置かれました。
恥ずかしさがこみ上げましたが、恐怖心はありません。

「こうしたかったのだろう……君はあの日、体育着を見つけた時から……」
私は激しく頭を振り否定しましたが、用務員さんには、すべてお見通しだったのです。
ブルマの上から股間を擦られ、甘い感覚が下半身に広がります。
「私と君との秘密だから、男同士、恥ずかしいことはないだろ……じっとしていなさい、いいね」
用務員さんの熱い吐息に耳をくすぐられ、小さく頷いた私……
片腕で抱えられ、ブルマから摘み出された屹立した性器をやさしく握られ、私は愛撫という言葉をはじめて身体で知りました。
その時、私はすぐに我慢ができなくなって、小水のような射精で板の間を汚したことを記憶しています。


三年生に進級しても、用務員さんとの秘密は守られ、誰にも気づかれることはありませんでした。
私の性欲をなだめてくれるだけではなく、用務員さんさんは進路に悩む私に、親身な相談にものってくれました。
助言の甲斐があって、担任の先生から早々に推薦をいただき、都立の商業高校に入学が決まりました。
卒業式を数日に控えた体育館の裏で、二人の秘密がこれからも続くことを意味するように、卒業祝いではなく入学祝いだよ、と前置きされて、用務員さんから腕時計をいただきました。
君の小遣いを貯めて買えるぐらいのものにした、と私を優しく気遣い言われました。
私はその腕時計を今も大切にしています。



今日も私は、用務員さんからの連絡を待ちわび、心を焦がしています。
高校を卒業し、専門学校に通いはじめた今でも、私は用務員さんの自宅で、作業着姿の用務員さんを前にして、両手を広げ、足踏みし、あの時の応援団長になっています。そして私は悦びで、全身を震わせています。

注 この告白は無題での投稿でしたので、題名は編集部の一存で決めました。







一時の梅雨休みのように晴れた水曜日、私は、今年の二月、心筋梗塞で、八十六歳で急逝した叔父の遺品整理に、叔父の住んでいた杉並のマンションを訪れました。
生涯独り身だった叔父は、生前にすべての段取りを自分で決めていましたが、同じ姓を継ぐ、ただ一人の甥っ子の私に、もしもの時は頼む、と遺言していました。

老人の一人住まいで、生活用品は少なく、大きな家具もありませんでしたが、読書家だったのか、書斎のような個室の本棚に有名作家の全集をはじめ、いろいろなジャンルの本が詰まっていました。
私も叔父に似たのか、本が好きで、叔父の遺した蔵書を引き継ぐ算段をしながら、片付けの手を休め、本棚に見入っていました。

本棚の一番下の棚に収められた美術図録に挟まれていた、一冊の古い小説雑誌を見つけたのは偶然のことでした。
背表紙の艶話の文字に興味が惹かれ、手にした雑誌は昔のエロ小説雑誌でした。
叔父もやっぱり、男だなと頬が緩み、私は革張りの読書チェアーに腰を下ろしました。

昭和五十二年発行の、小説浪漫別冊号で、表紙にはノースリーブのワンピースを着た女性が科を作り、読者からの衝撃の告白集!の文字が躍っています。
今では子供だましのグラビア、官能作家によるおきまりの読み切りが続き、興味をなくした私は、ページを捲る指を早めました。

雑誌の真ん中あたりに栞のように、一枚の変色したカラー写真が挟まれていました。
詰襟の学生服を着た、あどけなさが残る少年の立ち姿でした。
胸にコサージュをつけ、紙筒が握られているので、卒業式に撮ったようです。裏に、鮎川一美君と鉛筆で書かれていました。
叔父は、長きにわたり、公立中学の用務員を務めていました。きっとその関係で叔父が撮った写真だろうと推測しました。

写真が挟まれていたのは、特集の読者からの告白投稿のページで、題名は『薔薇の応援団長』で、作者は及川一美となっています。苗字こそ違いますが、名前が写真の少年と同じ一美で、私は大いに興味を惹かれ、夢中で読みはじめました。

内容は私が、想像すらできないもので、編集者の創作と思いましたが、登場する人物が、写真の少年と叔父との関係のように思えてなりませんでした。
この話が、本当にあったことなのかは、真実を知る叔父が亡くなったことで、知る由もありませんが、真実を知ることが、叔父にとっても私にとっても、如何に愚かなことか――私は写真を雑誌に挟み本棚に戻しました。


遺品整理の報告に、叔父が眠る霊園を訪れたのは、それから二週間後のことでした。
誰が墓参りをしてくれたのか、叔父の墓石に白いバラの花束が供えられていました。そして花束で隠すように置かれた、マンションの鍵。
それを見た瞬間、私は、あの写真の、あどけない鮎川一美君の姿が目の前に蘇りました。
――私は、すべてを納得しました。
続いていた二人の関係、いや、深い愛情……私は目頭を拭い、そっと両手を合わせました。

終わり。


すぐれず、しばらくお休みをいただきました。留守の間に訪れていただいた親愛なる読者の皆様にお詫びいたします。


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