夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

レクターちゃん 9話


私はその夜、見苦しいほど取り乱していました。何度も振り向いては阿川さんの姿を探し、それは母とはぐれた幼子のような心境でした。いつまでも戻ってこない阿川さんに気を揉む私の気持ちを知ってか知らぬか、一之瀬先生は展示された絵画の寸評を私に求めてきました。私の作品に関心を持ち、あの素描を保有する先生に、むやみな態度をとるわけにはいきませんでした。
腕組みしながら作品一点一点に目を凝らす先生に従い、絵画の知識を修学したとはいえ、一介の美大生にすぎぬ私の批評に耳を傾ける先生に恐縮しながらも、私は先生の美術への真摯な愛情を感じはじめていました。

先生と私は、作品展の主役とも言うべき絵画に向かい合いました。先生は絵の全体像を見定めるように後退り、作品の見事な出来栄えに感服したように頷き、賞賛の唸り声を漏らしました。
「素晴らしい…」
「同感です。絵画のブースで真っ先に目に飛び込んできたのはこの絵でした。大きさもさることながら、精密な描写が素晴らしいです。背後から鏡に映ったモデルの表情を描写する構図は、古典期から多くの画家が残していますが、全体のバランスを崩すことなく仕上げるには相当の画力が求められます」

「まず視線を捕らえるのは腕の自由を奪った拘束具ですが、僕はこの画家の焦点は美しくカールして背中まで垂れた髪にあるように思います」
「――ほう…」
「流れるような髪の束に人の視線を誘い込むために拘束具を手段としたように僕は思います。艶やかで、しっとりとした質感の黒髪への画家の偏愛でしょうか…」
「黒髪へのフィティシズムとでも?」
「ええ。美しい髪への愛、その髪をより美しく見せるために、あえて背中で腕を拘束させたのかと。面白いのは髪を黒い紐で束ね、手首はまるで髪留めのような金具で拘束させています」
「なるほど…確かに非常に興味深い」

「絵は刹那の瞬間を捉えていますが――上手く言えませんが、その後の画家の衝動を妄想させるには十分すぎるほどの作品ではないかと…」
「藍澤君、感じ入ることあったようだね」
「はい――今夜ここに展示されている作者の画力の確かさは、僕など足元にも及びません。勉強が足りないことを痛感しました。ただ今夜この絵に触れて、僕の絵に足らないものがこの絵にはあるような気がします」
「なにかな、言ってごらん?」
「物語性とでも言うのでしょうか…」
「――物語性?」
「物語を語る絵を描いてみたいと――いえ、描かなくてはいけないかと…」
「――でもそれがどのようなストーリーなのか、どう表現したらよいのか、まったく見えていません。紙の上の一点でもありません…」



一之瀬先生を画廊から見送った私は、いつまでも戻ってこない阿川さんのことが気掛かりでした。
なにか重大なことが阿川さんの身のまわりに起きたのか、それとも阿川さんを題材にした私の作品との関係がそうさせたのか。涙ぐむ阿川さんの心情が私には見あたりません。
しかしなぜか、阿川さんのことを気にする素振さえしない先生が解せませんでした。
それでもすぐに阿川さんに連絡したい、後を追いたいと、切迫した気持ちで右往左往する私を見咎めた画廊主の菅原さんに「閉館まで残るのは出品した作者の務め」と基本的な立ち振る舞いを、恥ずかしながら諭される始末でした。



梱包した自分の作品を抱え、乗客のいない始発電車に疲労した身体を揺すられ、連絡のつかない阿川さんの自宅を目指しました。早朝の冷たい空気が頬を弄り、息を切らせてたどり着いた阿川さんの自宅は、呼べども何の応答もありません。
マンションの前庭から部屋を見上げ、遣る瀬無い悲しみに唇を噛み締めるしかありませんでした。

私の想像すらできないことが阿川さんに起きたのか、それとも私との関係を終わらせるためなのか。答えの出ない堂々巡りの悩みに苛立ち、繋がらない携帯を握り締め、悶々とした週末を自宅で過ごした私は、週が明けるや否や大学の学生課に駆けつけました。


阿川さんは大学を辞めていました。
「なぜ!どうして!」と食い下がる私に恐れをなした女性職員は課長を呼び、課長から阿川さんは先月末で一身上の都合により依願退職されたことを聞かされました。
私の激しい興奮と憤りを見て、何かのトラブルがあったと思い込んだ課長は、詳しいことは話してはくれませんでしたが、何のトラブルなどないこと、大変お世話になった阿川さんにお礼が言いたかったと告げると、納得した課長は安心したように席に戻りました。


私の一番の理解者、私がはじめて恋愛感情を持った人。
私に愛情と癒しを与え、渇きを潤してくれた人――その阿川さんが私の前から忽然と姿を消してしまった…
私は魂をなくした夢遊病者のように彷徨い、とめどなく溢れる美しい思い出に涙し、毎夜現れる阿川さんの悩ましい肢体にかじりつき、身も心も失恋の痛みに耐えるしかありませんでした。

しかし時は無情にもその流れを止めることはありません。差し迫った試験に気を紛らわせ、どうにかこうにか最終学年まで進級を果たした私に、将来の選択が迫っていました。
画家としての道を歩むのか、それとも別な道を進むべきか――もし阿川さんがいれば、もし阿川さんだったら…
大切な水先案内人をなくした小船のように、暗闇の大海を迷い、押し寄せる大波にのみこまれる予感に押しつぶされてしまいそうでした。



穏やかな日が続いて街路樹のハナミズキが開き、束の間の華やいだ息吹が殺風景な街を被い隠していました。
銀行での用事を済ませ、立ち寄った書店の店先でポケットの中の携帯が震えました。
着信表示を見て私は息が吐けぬほど驚き立ち竦みました。なんと阿川さんからの電話でした。
逸る気持ちを抑え、通話ボタンを押しました。
携帯から聞こえてきた声に、私は……


つづく。



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コメント

ううっ、これからっ!ってところで終わってるじゃないですかっ!
なんですかもう!
もう!
このまま年を越しちゃうんですかっ?
ちょっと阿川さん、ここに呼んで、どんな理由があるのか知らないけど、黙っていなくなるなんて、私もう、そういうの大嫌いだから、って、これから説教するから、って気分なんですけどっ!
せ、せんせえええっ!
・・・・・うーむ、とりとめのないコメントで申し訳ございません・・・・。

  • 2014/12/21(日) 17:21:33 |
  • URL |
  • ネジ #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

ネジちゃん、コメントありがとうです。

阿川さんは何処に消えたのか?

電話に出た藍澤君の運命は如何に!

今月はまったくアルコールが抜けない!

年内に一区切りつけられるかどうか・・・作者にもワカラン!

気長に更新を待て!(オイ!)

  • 2014/12/22(月) 00:09:18 |
  • URL |
  • アル #-
  • [ 編集 ]

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