夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

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チコ 13

冬の陽はすでにかげり、この時期でも緑の多い神宮の森に黒い陰が広がっていた。
チコを引き留める妙子の物言いは、客に断る隙を与えぬ水商売の常套句かもしれない。
ひとりで寂しいと甘えられれば、ほとんどの客は浮かせた腰を下ろしてしまう。チコも例外ではなかった。

それでも妙子から寂しいという言葉を聞いたのは、はじめての気がした。チコの知る限り妙子は店ではもちろん、
プライベートでも聞いた覚えはなかった。
妙子の世話になってから食事を共にしたことは幾度もあったが、すべて出先で外食だった。
自宅で食事をすることはなかったし誘われたこともなかった。
今日の芳村といい妙子といい、いつもと違う二人の態度にチコは戸惑いを覚えた。
なぜ芳村がクルマを置いていくようにと言ったのか、妙子が夕食に誘うことを芳村は知っていたのか、
それともそう仕向けていたのか……
チコを引き留めた嬉しさからか、キッチンに向かう妙子から自然と鼻歌がこぼれた。


俗に異性と二人で鍋とか焼肉をつつくことができるようになるのは、
二人が男女の関係に発展したことだと聞いたことがあったが、こうやって妙子と鍋を囲んでいると、
確かに、歳は離れてはいるが仲睦まじい恋人のような気がしないでもなかった。

「芳村さんと知り合ってどのくらいになる」
「今年で三年になります。まさか芳村の個人秘書になるとは考えてもいませんでした」
「もうそんなになるのね。あの頃私のわがままに連れ回しちゃって」
「いえ、僕は妙子さんに助けられました」
「そんなことないわ。芳村さん一目見てチコちゃんのことが気に入ったのよ。
だからこそ難題をふっかけたのよ」
「子供の頃好きな子の困った顔を見たいっていう悪ガキがいたじゃない」
芳村と同じ思いを妙子は笑顔でごまかし口元に箸を運んだ。

「芳村さん食事はルームサービスなの」
「はい。部屋にいるときはほとんどそうです」
「飽きないのかしら」
「ええ、メニューが偏ってしまいます。でも今では気を利かせた料理長が
芳村専用のメニューを献立てくれています」
「専用のメニュー!」
「はい。料理人の賄い食だそうですが、バランスの良い食事を出してくれています」
「時々ご一緒させていただきますが、シンプルで家庭的な献立です。芳村はたいそう喜んでいます」
「専用のメニューを運ばせるなんて、あの人らしいわ」
「でも芳村ここのところ食欲がないようで、体調がすぐれなのかホテルの診療室に通っていて、
心配で尋ねてみたのですが、無用な心配するなと一蹴されて……」
「そう……」
勘の鋭いチコは妙子の箸が思わず止まったことに気付いた。
「妙子さん、やっぱり芳村はどこか具合が……」
「ううん、チコちゃん気のまわし過ぎ。芳村さん本当に具合が悪かったら、とっくに病院で検査しているわよ。
さあワインを注ぎましょうね」


「前々から疑問に思っていたのですが、芳村は自宅があるのになんでホテル住まいをしているのですか」
「浜田山のことかしら」
「はい。住み込みのご夫婦が居て、食事の心配もいらないと思うのですが」
「チコちゃんは行ったことある」
「いいえ、芳村に仕えてからも一度も」
「そうなの――もうずいぶん前だけれど、呼ばれたことがあるわ。日本家屋のお屋敷でね、
お庭が見事に手入れされていてね」
「そんな住まいがあるのに……」

「誰だってそう思うわよね。私も気になって聞いてみたの」
「芳村さんここは何でも揃って便利だって、電話一本ですべてが済むって」
「そう言われれば便利なのは納得するけれど、自宅には使用人も居るのに、わざわざホテル住まいにこだわるのか、
窪田に聞いてみたの」

「口の堅い窪田はのらりくらりだったけれど、ある時話してくれたわ。芳村さんあのホテルの地主なんですって」
「地主ですか!」
「もちろん全部じゃなくて、正面の道路沿いの角地がそうなんですって」
「窪田が言うには、そこには古い一軒家があって、老婦人が独りで住んでいたそうよ」
「ホテルの計画が持ち上がって、いろいろな不動産屋が売ってくれってご婦人に掛け合ったそうだけど、
頑として応じなかったんですって」

「でも結局芳村が買上げた……」
「結果はそうなんだけれど、ご婦人との交渉が芳村さんらしいと言うのか、ご婦人の心配事のすべてを
芳村さん個人が引き受けたんですって」
「――心配事すべてですか、心配事って……」
「ご婦人のこれからの生活のすべてを芳村さんが面倒みることを契約したんですって」
「生活の面倒ってどうゆうことでしょうか」
「多摩市に開設して間がない高級介護施設に住まわせ、月々の生活費の掛かりを
ホテルから払われる地代を当てることにしたそうよ」
「それでは土地は譲ってもらえなかったってことですか」
「その時はそうだったんだけど、身寄りのないご婦人から後見人に選任された芳村さんは
引越しから入居費用、諸々にいたるまですべてを立て替えて、
そのかわりにご婦人と遺言書を交わして財産を相続したそうよ」
「最期を看取った芳村さんは、仏さまが無縁さんにならないように、今もご婦人の菩提寺で供養を欠かさないそうよ」

「でもね、ご婦人にはお金のことだけではなくてね、長い間ご夫婦で暮らした思い出の住処を
どんな形にしろ残しておきたいという思いがあったのね」
「今ホテルの庭園に植わっている柿の木は、芳村さんが掛け合ってお庭から移植したそうだし、
ご婦人は生前、誰か知っている人に住んでほしかったかったとよく口にしていたんですって」
「だから芳村さんはあの土地に住むようになったのではないかと窪田は言っているわ」


「私そのご婦人の気持ちがよく分かるの」
「赤の他人の芳村さんのことを信頼しきったこと」
「すべての憂い事を察し取って、押し付けることなく、それを何ひとつ欠けることなく満たしてくれる男に惚れて、
残りの人生を委ね捧げたこと……」

「――チコちゃんね、さっき話した赤坂の頃から私も同じ気持ちだったの」
「芳村さん、私の思っていること口に出すこともなかったことを、まるで先回りしたように私にみせたの」
「自分のお店を持ちたいって私の欲だって分かっていたの」

「チコちゃんだから白状するけれど、惚れちゃったの」
「誰だってそこまでされたらそうよね。でもチコちゃんね、叶わぬ思いなのは分かっていたの……
でもでもね、好きという気持ちはかえられない」
「かえられないから私、好きと言葉にできない気持ちを伝えたの」
「――すべてを捧げると……」
「芝居じみた戯言に聞こえるかもしれない。でもどうしても偽りのない本心を芳村さんに伝えたかった。
他には何も考えられなかった……」
「芳村さん返事はしなかったけれど、困ったような顔もしなかったの」

「返事をもらえない代わりに、ひとつだけおねだりしたの――指輪が欲しいって」
「だめだって。考える間もなく言ったわ」
「その代わり妙子には首の鎖がお似合いだって」
「留め具に私のイニシャルを彫るって言うから、私からあの文字をお願いしたの」
「えっ、あのペンダントのスクラプの『obay』の文字は妙子さんが彫らせたのですか」
妙子のペンダントの秘密を知って驚愕したチコは身を震わせた。

「芳村は本当に嫌そうな顔をしたのを覚えているわ。そのようなことを形に残すことが性に合わないのよ」
「しばらくして出来上がったペンダントを見せられた時、なんて素敵なの、一目で気に入ったの」
「芳村さんに掛けてもらって、背中でカチッと留め具の閉まる音がして、その瞬間に私の何もかもが芳村さんと
繋ぎ留められたこと実感したわ。それだけで心が満たされたの」

妙子は誰にも話すことのなかった心情をチコに告白した。
チコなら分かってくれると信じていたし、今夜以外に話す機会はもうないと決めていた。
「――妙子さんの気持ち分かります。僕も、そうです……」
真摯な眼差しを恥ずかしそうに伏せたチコに、妙子はほんのり赤く染まった顔をほころばせた。

「でも私には何にも残すものはないから、まったく心配なし!」
グラスに残ったワインを勢いよく飲み干した妙子は背もたれに身体を預け、肩の荷を下ろしたように左肩を自分で叩いた。
「この頃ね、肩が張ってしょうがないの、左肩が。もう歳なのね」
「歳だなんて、そんなことないです」
つらそうな妙子の歪む表情に絆されチコは申し出た。
「僕でよかった、肩揉みます。へたくそですが時たま芳村のも揉んでいます」
「ヤッター!」
少女のようにはしゃぐ妙子に、目を細めたチコは芳村の命令を思い出していた。
妙子に恩返しをしたいなら、寝てやれ……


つづく。

長いお休みをいただきました。お詫びと報告はまた後ほど。


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