夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

レクターちゃん 5話


親元を離れ、八王子郊外にある美大に通っていた頃の私は、自分の才能に疑いを抱くことなく、芸術家への夢と希望に溢れていたました。課題制作をこなし、時間があるとデッサンの習作に励み、無事進級を果たしましたが、正直、経済状態は苦しくて、必要な画材を購入すると、贅沢をするつもりは勿論ありませんでしたが、一般の大学生並みの生活を送る余裕はありませんでした。
両親は美大進学に反対はしませんでしたが、裕福とはいえない家庭からの仕送りの増額は望めず、私はバイトに活路を見いだすしかありませんでした。
食事付きの飲食関係のバイトは境遇にぴったりでしたが、就業時間が長く、制作に支障が出てしまうのは明らかでした。学食のテーブルの上にバイト紹介のタウン誌をひろげ、頬杖をついた私が、見知らぬ青年から声を掛けられたのは、大学三年の早秋の昼下がりのことでした。

「君、バイト探しているの?」
思わぬ声に視線を上げた私の前に、ひとり青年が立っていました。鼻筋の通った睫毛の長い涼しい目に微笑みを浮かべた青年は、親しげに私に話し掛けてきました。線が細く華奢なせいか、どことなく女性っぽい柔らかな背格好の青年でした。
「私は学生課の阿川。君は確か…」
「三年の藍澤といいます」
「そうだ、藍澤君だったね。掛けていいかな」
「ええ、どうぞ…」
学生課に勤める阿川と名乗った青年は、なぜだか私のことを知っていたようでした。
「君は斉藤先生の門下でしょ」
「――はい…」
「いつだったかな、斉藤先生に用事があって先生の部屋に伺ったとき、門下生の作品を見せてもらったことがあってね。その中に君のデッサンもあって、人物画のデッサンだった。いい作品だったんで、君のことがちょっと気になっていたんだ」
「僕のデッサンですか?」
「そう、君のデッサン力の確かさに驚いたと言っては失礼だけれど、よく描けていたから」
阿川さんの褒め言葉に悪い気がしませんでした。
「いいバイト見つかった?」
「なかなか条件が合わなくて、賄い付きの飲食業が第一候補なんですが、バイト時間が長くて」
自分の生活の窮状を晒した気がした私は、恥ずかしさに頬の火照りを感じていました。

「藍澤君、バイトを決めかねているのなら、私の相談に乗ってくれないかな」
阿川さんは何気ない素振りで周りを見渡し、テーブルに身を乗り出し小声で話し掛けてきました。
「実は、ある方から、その人は私の知人だけれど、画学生を紹介して欲しいという依頼があってね。絵を描いてもらいたいと。学生課を通した話ではないんだけれど、見込みのある生徒を紹介して欲しいと…」
「――見込みのある生徒ですか…それじゃあ僕は…」
「いや、私も美大に勤めているから、他人様より少しは目が肥えているよ。人選は私に任せると言ってくれていてね。どうだろう、君の作品を何点か見せてくれないかな」
「僕の作品ですか、たいしたものは描いていませんが」
「デッサン帳はあるかな」
「ありますが・・これは採用試験ですか?」
「まあ、そう思ってくれてもいい。きっと先方は気に入ってくれるはず。私の推薦だからね」
「報酬は期待できないかもしれないけれど、プロを目指す美大生には、悪い話ではないと思うよ」
将来画家として一本立ちしたいと思っていた私は、阿川さんの物言いに惹かれました。作品に自信はありませんでしたが、明日デッサン帳を渡す約束を交わしました。


それから数日後、授業を終えた夕暮れ迫る教室に顔を出した阿川さんに呼ばれた私は、学食の隅のテーブルで向かい合いました。
「デッサン帳ありがとう」
阿川さんは、わざわざ茶封筒に入れたデッサン帳を返してくれました。
「先方は君の作品を褒めていたよ」
「合格ですか?」
「うん、合格。ぜひ君に頼みたいと。ただ、条件があってね」
「――条件?」
「君は作品の守秘義務を負えるかな。依頼の秘密を守れるかな?」
「守秘義務・・阿川さん、これやばいバイトですか」私は声をひそめました。
笑い声こそ上げませんでしたが、破顔させた阿川さんは、不安げに顔を曇らせる私の心配を手で振り払い言いました。
「ごめん、脅かすつもりはなかった。内緒にしてくれということ」
「君、パソコンあるかい?」
「はい…」
「その封筒の中にメモリーが入っているから、部屋に帰ったら見てみて。画像が入っているからそれを参考にして、君が好きなようにデッサン画を描いて欲しい」
「――デッサンですか?」
「そう。一枚でいい。先方は出来の良し悪しを問わず、謝礼は必ずする。もし嫌だったら断ってもいいけれど、私からすれば勿体ない話だと思う。君ならいい絵が描ける。私の目に狂いはない」
自信たっぷりな阿川さんの褒め言葉に、照れ隠しのように頭を掻いた私は、嬉しさと不安な気持ちに駆られたことを覚えています。

もしあの時、阿川さんの依頼を断っていたら…私は全く別の人生を歩んでいたことでしょう。想像すら出来ない世界が私を待っていることなど、その時は知る由もありませんでした。

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レクターちゃん 4話


部屋の闇の中に色白の美しい少年の顔が浮かんだ。どこか退廃の香りを纏った美しさに満ちていた。濡れた黒い瞳の中に、私の顔が小さく映っていた。
私はその顔を一目見たとき、胸の中にさざなみがわき立ってきたような気がした。同時に触れてはならないものに触れたような後悔も駆られたが、私は少年の妖異な魅力の完全な虜になっていた。
少年の取った行動は不思議だった。私には純粋に誠実だったが、自ら望んだ被虐的な立場に自足している様子だった。少年は私の前で恥ずかしがり、怯えながらも声にならない愉悦を感じていた。そして、まだ見ぬ情欲の塊を描いては、欲動の淫夢にうなされていた。
しかしそれは夢ではなかった…



日ざかりの午後でした。
真夏の炎暑とは無縁のここは、季節もなければ、風が吹くこともありません。漂う消毒臭は人の営みさえも消し去っています。ナースステーションで面会の手続きを済ませ、磨き上げられた廊下に歩を進めると、私を誘う熱と手を感じます。シーツと枕のありえない白さ、そこに傷ついた吉永美南の横たわる姿。思いっきり不健康な、不道徳で淫蕩な感情が目を覚まします。

「吉永…」私は上掛けの上から吉永君の身体に手を置き、そっと揺すりました。
呼びかけに目を開けた吉永君は私の姿を見定めると、瞼を大きく見開き嬉しそうに微笑んでくれました。
「あっ、先生、来てくれたんですね」
入院生活にも慣れたのか、十日ぶりに再会した吉永君は、だいぶ落ち着いた様子でした。日に当たらないせいか、色白の肌が陶器のように透き通っています。
「具合はどうだ?」
「もう痛みはなくなりました。でも身体が思うように動かせなくて」
「母がいなくなったら、何もかも看護師さんの世話になって、その度にナースコールを押すんですが、なんだかそれも鬱陶しくて」
両手を固定されたギプスの脇に置かれたナースコールに目を落とし、苦笑いしました。

私と吉永君との関係、いや、特別な関係など何もありませんが、二人の共通の想いを、暇を持て余した同じ病室の入院患者や看護師たちに悟られることのないよう、私は注意深く振舞います。
「吉永、食事はどうしている?」
「まだ箸が握れなくて、食べさせてもらっています」
「そうか・・不自由だな。何か欲しいものはあるか?」
窓に顔を向け、少し思案した様子の吉永君は、なぜか照れ臭そうな表情を浮かべました。
「先生、冷たいものが食べたい。寝てばかりだから、外の景色も見てみたいです」

看護師の了承を得た私は、不自由な吉永君を慎重に抱きかかえて車椅子に座らせ、外来病棟のカフェに連れ出しました。両腕と左脚にギプスを巻き、車椅子に座る美少年の痛々しい姿に、カフェで寛ぐ見舞い客の哀れみと好奇心の視線が集まる中、模範的な介護人を演じる私は、案内された窓際の席に、ゆっくりと車椅子を押しました。

眺望の良い、陽の光が入るカフェは、それだけで吉永君の気持ちが晴れ晴れしたようで、新宿の高層ビルを遠くに眺める吉永君の顔に、高校卒業を間近にしたあの日、美術室から外を見詰めた美しい横顔が重なります。
注文したアイスクリームを、私はスプーンで吉永君の口に運び、それを美味しそうに舐める濡れた唇が、他のテーブルで談笑するお客さんたちを気にしながらも、私にあらぬ妄想を引き起こさせます。
下卑た妄想をかき消すように、何度も脚を組みなおす私のことを知ってか、くすっと笑った吉永君は意味深な上目遣いで、私の飲みかけのアイスティーまで飲み干し、ナプキンで吉永君の口を拭った私に、満足げな表情で笑みを浮かべました。

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テーマ:自作BL小説 - ジャンル:小説・文学

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