夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

レクターちゃん


どなたにも忘れられない人との出会いがあるでしょう。私のような職業に就くと、否が応でも毎年違う数十人の生徒たちと顔を会わせます。できるだけ名前と顔を覚え、真摯で公平な態度で彼らと向き合わなくてはいけないのは当然の職務ですが、彼と出会ったときの私は、胸の奥で脈動する倫理や道徳に反する妄想に掻き立てられた、下卑たひとりの男になっていました。
吉永美南君と出会ったのは、秀でた才能がないことを自覚し、芸術家への夢を捨てた私が、某先生の推薦状を頼りに、(某先生との出会いのことは、また別の機会にお話したいと思います)都内の高校の美術科の講師の職に在りついた三年目の春のことでした。

高校二年の一年間、選択授業に美術を選び、私の教え子となった吉永君は、美しい南と書いて「みなみ」と読ませ、女とも男ともとれる名が体を表すのか、まるで女子と見まがうほどに端正な美少年でした。後に知ったことですが、父方のフランス人の祖母の血を引いたのか、どこか退廃的な香りを纏っていました。

受験とは直接関係ない科目という気楽さと、さほど歳差がない新米講師の授業ということで、緊張感のない生徒を前に、私は堅苦しい授業を避け、社会に出たときに有用な常識的な美術史の変遷と自由な課題制作を授業の柱としました。
そんな緩い授業であっても好奇心旺盛な年頃からか、ある日の授業で古代ギリシャ彫刻ミロのヴィーナスを例に挙げ、人間が最も美しいと感じる比率、芸術におけるプローポーションの黄金比の解説した授業では、いつになく生徒たちは熱心に耳を傾け、古代中世と近代美術、さらには現代作家の作品やアニメ漫画との黄金比の違いに熱い意見を交わし私を驚かせました。
私はひとつの見方として、見る者の想像を刺激する、失われた両腕の魔力にあると言われていることを話し、その身体的欠損こそが身体全体の美しさを引き立てて、私を魅了してやまないと、黒板をチョークで叩きながら力説すると、生徒たちから優男の私に多少の情けを込めて、猟奇小説の主人公に「ちゃん」付けして『レクターちゃん』と仇名をつけられました。苦笑いした私ですが、それほど悪い気はしませんでした。


あえて美術教科を選択した生徒たちだけに、課題を示し技巧云々にこだわらず自由な発想で描かせた絵画は、どれも素晴らしく私を唸らせました。
なかでも奇抜ともいえる大胆な色使いで仕上げた静物画を描いた吉永君は、絵画の魅力を知ったのか、三年生になると放課後の美術室に顔を出し、数少ない美術部員とおしゃべりに花を咲かせ、気が向くと、受験勉強の息抜きのつもりで絵筆を握っていました。
そんな吉永君を静に見守りながら、教師にあるまじき妄想に耽けってしまう私は、自分の愚かさをもちろん自覚していましたが、ときより私に向ける吉永君の、私の本性を見透かしたような眼差しに、私はたじろぎ視線を逸らせるのが精一杯でした。

続きを読む
スポンサーサイト

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。