夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

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男 最終話


残業帰りの人たちだろうか下り電車はわりと混んでいた。ドアのところに立ったまま手すりにつかまり、外をぼんやりと眺めていた。この時間に電車に乗るなんて何年ぶりだろう。少し酔った身体をドアにあずけ、おでこを窓につけ両手で陰をつくらないと外の景色がよく見えない。切り通しを抜けると、線路に平行した長い一本道に並んだ街路灯が流れる。
このあたりはどうして昔と変わらないのだろう。もうすこしすれば男の住んでいた街の灯りがあるはずだ。
窓から顔を離すとそこには冴えない自分の顔が映った。忘れもしないあの時も私はひとり、夜の中央線に乗っていた。窓から外は見えなかった。私は向かい側の窓に映る自分の姿を見詰めていた。痩せっぽちの身体を空いた座席に投げ出し疲労しきった少年の姿を・・・

四人の偉大な音楽家が飛行船で舞い降りてきた。初めて行く武道館での真打の登場に、僕と親友のT君はこの日を指折り数えて待っていた。客席の期待と熱気が最高潮に達するや、破裂した爆音に誰もが度肝を抜かれ唖然とするだけだった。
しかし素晴らしいコンサートの余韻に浸る僕の前に突然現れたT君の彼女に、飛行船が一気に萎んでいくのを感じてしまった。仲睦ましい二人に気を利かせた僕は新宿駅で二人の後姿を見送り、重い足取りでひとり電車に乗るしかなかった。
T君に友情以上の感情を密かに抱いていた。もちろん口が裂けてもそんなことはT君に告白することなどできない。電車の中で羨望と嫉妬に揺す振られ、胸が押し潰される。停車駅で乗客がひとり、ふたりと居なくなり、込み上げる寂しさと遣る瀬無さが、僕を男の許へと走らせた。
男に抱いて欲しかった。求められればすべてを許す気になっていた。怖くはなかった。

そんな僕の意に反して、突然の深夜の訪問に驚きを隠せぬ男は僕の肩をやさしく抱き、温かい飲物を用意してくれ、僕の異常に昂っていた神経を静めてくれた。そして終電を乗りそびれた僕を気遣い、バイクで家まで送ってくれた男。男の腰に両腕をまわし背中に顔を埋めた僕は、小学生のとき死別した父に似た温もりを感じ、涙が溢れていた。
僕がラブレターを書いて渡したのは、男ひとりだけだった。その後もラブレターを送ったこともなければ、送られた記憶もない。歳の離れた男の優しさは僕に夢を語り、やわらかな抱擁は僕を虜にさせた。

なぜ?・・・なぜ?
唇の端の微かな歪み、眉間によせた僅かな皺、僕の問いかけに苦悩する男の表情。男の父親に降りかかった突然の不幸。男の取り巻く環境が一変してしまったのは、僕は誰よりも分かった。それでも男との関係が続くものと思っていた。でもそれがなぜ今なのか。同性との恋愛に永遠なんてないことは分かっていたはずだった。
遭えない日々を悶々と送った僕は、兄のバイクを無免許で乗り回し夜の街を飛ばした。自暴自棄になった僕に交差点の信号など有って無いものだった。ハンドルに身を屈めアクセルを吹かした僕は、右から来た乗用車に跳ね飛ばされ道路に叩きつけられ、アスファルトを唇で舐めた。額の傷は今も残っている。

女性は失恋の痛手を新しい恋で埋め合わせることができるというが、所詮男の僕には無理な相談だった。男を忘れることはできなかった。免許を取って初めてのドライブは男の住む街だった。バイト先もその街で見つけ、帰りには男の家の前を何食わぬ顔で素通りしたりしていた。事あるごとに家の周りをうろつき偶然の出会いを期待していた。いまになって思うと、思春期の何かにとり憑かれていたような気がする。


あれからどのくらい経っただろう。幾つかの恋愛を経験し、男とのことは笑い話にさえできる年月が過ぎ去った。数十年ぶりに訪れた男の住む街はすっかり変わっていた。男の家は六階立てのビルに生まれ変わり、家業だった薬屋はパン屋になっていた。焼きたての香ばしい匂いに誘われ店内に入る。流行の天然酵母パンを選びトレーに載せレジに向う。男のことなど知る由もないバイトの女の子に、以前ここにあった薬屋のことを聞く図々しさに自分が爺になったことを実感する。女の子は何を思ったか親切にも奥にいる店長を呼びに走り、訝る店長に私は、薬屋の荻野さんと親交があったことを告げた。警戒心を解いた店長から、最上階に住むビルのオーナー家族のこと、そして昨年秋にオーナーが亡くなったことを残酷にも聞かされた。

すぐにビルの階段を駆け上がり、荻野さんの仏前に会いたい衝動をどうにか抑えた私は、パン屋の軒先からビルを見上げ、込み上げてくる感情に唇を噛み締め両手を合わせた。
荻野さん・・ずるいよ・・ずるいよ・・
青年荻野さんのはにかむ笑顔が瞼に霞み、私は人目を憚らずむせび泣き、その場を立ち去った。


長い間、留守にしておりました。忘れないで訪れてくださった親愛なる読者の皆様、貴重な拍手コメントを頂き、改めてお礼申し上げます。
湿っぽい「男」のお話は今回で最終にするつもりです。どうかこれからもご愛読のほど、よろしくお願いします。

音楽夜話に続きます。



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