夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

夜光の珠



昼間の夾雑が夜の奥に隠れ、微塵の虫の唸りさえ耳につくような深閑の闇が、霧の如く立ちこめていた。かすかな声を聞き、衣の香りを嗅ぎ、襖と屏風で囲った奥の間に這い入り、おぼろげな月のような仄かな青白い光彩を放つ、夜光の珠のような青年が、夜具の上で長い袂や裳裾で手足を包み込み、身を丸めていた。

夜会の髪に触れ、腕をまわし羽衣を引き寄せた。心を捉える柔らかさが、女の記号を持つ青年のなかに生まれ、夜の揺らぎを映す、潤んだ瞳の中に意識までもが吸い込まれていくような錯覚を感じた。
柔らかな頬を愛おしみ、言葉にならない声を漏らす、ふっくらとした唇を塞ぐ。薄羽織の懐に手を潜らせ、乳首の先を引っ掻き、女の肌とは違う蠱惑を含んだ肌理の細かい肌が、さっと緊張するのがわかる。
括れた腰に腕をまわし、たおやかな腿を撫で上げ、大きく割れた裳裾から童女のような無毛の股間に尖らせた陰部を晒した。敏感な括れに情慾を絡め、きわどく切ない呻きを上げた青年は、私の首にかじりつき、むさぼるように唇を吸い、淫雨の雫が二人だけの夜を濡らした。

悶える身体を組み伏せ、爛れたように蕩けた場所を探り当て、抉るように打ち込み、乳首をつまみあげた。忘れることのない、青年の悩ましい喘ぎが闇を震わせた。
自ら張形を突き刺し、あわ立つ身体を波打たせ、両手で乳首をつまみあげた。身体を弓なりに反らせ、はちきれそうな陰部を狂ったように私になすりつけ、夜を呑みこむほど息を吸い、激しく射精した。
そして息を吐きつくした青年は天を仰ぎ、涙を拭った。


外へ出ると、紺青の空に夜光の珠が浮かんでいた。雲に紛れてぼんやりとおぼろげなその光りが、盆の送り火のように瞬き、私を黄泉の国へと見送ってくれた。



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夕暮れ天使


アパートの窓から眺める昼下がりの景色が好きだった。
緑豊かな住宅街の一画に残った畑には、春に植えたとうもろこしが背丈を越え、梅雨のぬるい風が黄色い穂先を揺らし、自慢げにひげを蓄え、大事そうに幾重にも薄皮を被った実を膨らませていた。
あと半月もすれば、大家の老夫婦が麦わら帽を被り、道端に出した縁台でもぎたてのとうもろこしを売り、今年もスーパーの袋に入った気前のいいお裾分けが、ドアに吊り下げられることをアパートの住人の誰もが期待していた。

どうにか美大を卒業したが、定職ない、金ない、友達いないの、ないないずくめの生活も二年が過ぎていた。幾つかのバイトを掛け持ち、どうにか糊口を稼ぎ、派遣会社からお呼びの掛からない日は、アパートで勝手気ままに絵を描き、飽きたら街をうろうろ散歩して時間をつぶした。
気分の乗らないときは、散歩の足を遠くまで延ばし、何の役にも立たない思索にふけり、いっぱしの画家気取りだったが、傍から見ればただの無能者だった。
それでもいつかは日の目をみることを夢見ていた。

午後の八時から翌朝六時までの夜間工事の交通整理は、工事車両の排気ガスと溶けたアスファルトの臭いにさえ我慢すれば、実入りのいいバイトだった。
車両誘導のイロハを仕込まれていない登録バイトの俺に与えられた今回の仕事は、工事現場に通じる枝道に立てた通行止めの看板の横に一晩中立ち、迷い入ったタクシーなどに、丁寧に頭を下げ、抜け道へと誘導することだった。
工期は土日の休みを挟んで、ちょうど十日間。家賃を払っても、しばらくは絵の制作に没頭できる算段がついた。


空気で膨らんだ巨大なぼんぼりに明りが灯り、薄暗い街路が瞬く間に昼間の明るさをとり戻し、照明が引き伸ばす自分の影を踏みながら、通行止めの看板を抱えて、自分の持ち場に急いだ。
今夜も来るだろうか。人通りのない真夜中の路地の先から、パンプスの音を響かせ、走ってきた若い女に遭ったのは、工事二日目のことだった。通行止めの看板を目にした女に、俺は頭を下げ、右手を水平に伸ばし、迂回の指示を告げた。
初めは帰宅を急いでいるのだろうと気にも留めなかったが、なんと、それから毎晩、日付が変わった同じ時刻に、どこからともなく現れ、俺に軽く会釈しては走り去る女に不思議な興味を覚えてしまった。
肩先の髪をなびかせ、手ぶらで走る様は、明らかに帰宅を急ぐ風ではなかった。見るからに華奢な若い女の、普段着での深夜のジョギングとは妙なことだったが、同じ市で起きた通り魔事件を思い出し、心配した俺は路地の真ん中で仁王立ちし、女の背中を目で追い続け、何事もなく闇に消えると、やれやれと胸を撫で下ろしていた。


腕時計の針が十二時を回り、背後から聞える掘削機の騒音にまぎれて、軽快なパンプスの音を耳にした俺は、今夜も女が現れたことを確信した。おぼろげな暗い路地から姿を現した女は手にコンビニの袋を提げていた。そして何を思ったか、頭を下げて右手を上げた俺の前で立ち止った。瑞々しい柑橘の香りが、汚れた鼻腔を甘くさせ、乾いた胸の底まで浸潤した。私は思わずたじろいだ。
常夜灯の鈍い灯火が、綺麗に染めた栗毛色の髪を艶やかせ、カールした長い睫毛の可愛い目元を私に向け、薄紅をひいた小さな唇を開いた。
「毎晩おつかれさまです・・これ飲んで・・」
コンビニの袋からスポーツドリンク取り出し、反射板が縫い付けられた俺の胸に突き出した。
予想もしていなかった不意の女の行為に、俺は慌てた。むやみに人様から物を頂いてはいけないと、死んだ祖母がよく言っていた。まして、物騒な世の中で、想像もつかない犯罪に巻き込まれる怖れがあることは誰もが知っていた。
躊躇する俺に女は、決まり悪そうに笑みを浮かべ、俺の胸中を察したように言葉を繋いだ。
「今、そこのコンビニで買ってきたばかりだから。毒なんか入っていないから・・」
「あなたに飲んでもらおうと買ってきたの」
「――私に?」
さっぱり理由が分からず、戸惑う俺を見かねたように、女は俺の腕を取り、冷えたペットボトルを無理やり握らせた。
「毎晩私のことを心配そうに見送ってくれて、嬉しくて・・」
女は俺が後姿を目で追っていたのを知っていた。仕事中の私語は禁止されていたが、毎晩の女の行動に膨らんだ好奇心と、淡い気持ちに押された俺は、後ろを振り向き、工事関係者が誰もいないことを確認した。
「物騒な事件がありましたから、人通りのない夜道は男性でも身の危険がありますよね」
「いつも遅い時間に走っていますが、お仕事の帰りですか?」
「いえ、ちょっと説明しにくい・・お分かりのように、まだ自信がなくて・・」
掘削機の喧しい音と振動が、女の細い声をかき消し、俯いた女は、自分の服装に目を落とし、少し困ったように身を捩った。
「あっ、失礼しました。見知らぬ方に不躾なことを」
私は、会社の規律に従い、背筋を伸ばし、腰を折って頭を下げた。
「お仕事、いつまでですか?」
「はい、朝の六時には必ず撤収しますから」
「そうじゃなくて、工事はいつまで・・」
「あっ、明日の金曜日には終わります。長い間ご迷惑お掛けして申し訳ありません」
「明日もここにいます?」
「はぁ?・・明日までの契約になっていますから、大雨さえふらなければ・・」
女の質問の真意をはかりかねた俺は、付近の住民とトラブルになることを怖れ、慎重に言葉を選んだ。
「そう、明日で終わりなんだ・・」
立ち去る女に、何度も差し入れの礼を述べ、今夜も女の後姿が見えなくなるまで見送った。なぜだか、残念そうに呟いた女のひと言が耳に残り、甘酸っぱいスポーツドリンクをひと息に飲み干した。



握られた腕に残る女の手の感触が消えぬまま、迎えた工事最終日の夜、日付の変わった同じ時刻に現れた女は、そうすることを決めていたかのように、スポーツドリンクと小さく折った紙切れを私に無理やり押し付け、一目散に駆け出した。
礼を言う隙もなく呆気に取られ、路地の真ん中で立ち尽くす俺に、女は一度だけ振り向き、何ごとか口を開いたが、突然の騒音にかき消され、声は俺まで届くことはなかった。腰で小さく手を振り、真っ暗な路地に消えてしまった。

少女のような丸文字で、ミユという名の携帯アドレスが書かれたピンクのメモは、その日から俺の宝物になったことは言うまでもなかったが、俺はミユとの不思議な出会と、淡い想いを胸に仕舞うことにした。何度かアドレスを打ち込んでは、携帯を放り投げた。自分の情けない生活を思うとメールを送ることはできなかった。男の甲斐性など何もなかった。お互い気まずい思いをすることは分かっていた。
ミユのメモを文字が読めなくなるまで千切った晩、大家からのお裾分けの甘いとうもろこしが、惨めな気持ちを少しだけ和らげてくれた。


しかし、話はこれで終わらなかった。


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