夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

私が聡志と個人的に知り合ってから、どのくらいになるだろう。
聡志とはじめてメールを交わしたのは、冬の終わりのある日のことで、その時のことは、今も記憶に残っている。
それからしばらくして、聡志は私のところへ電話を掛けてきて、私に会いたいと言った。
それで私は新宿のはずれの喫茶店まで出掛けて彼に会い、少し話をしたのである。
聡志が問い返す声色や顔つきは、どうして男色を刺激するのだろう。
狂おしいほど。たまらないほど。絶望的なほど。

そして私は恋に落ちた。

私はゆっくりと、おもむろに、少しずつ聡志の身体に触れることによって聡志を、そして私自身を刺激し始める。
あわてずに官能を抑えて、肌が、肉体が、その感度に慣れてくると、ますます微妙に高まってくる欲情。甘美な手順によって、ゆっくりと責めていく。
聡志の弱々しく敏感な背から尻のあたりにかけて、あてもなく指を走らせていく。

聡志の眼は欲情に濡れ、敏感で正直な股はうずいていた。
私はすぐさま聡志のジーンズを引きおろすと、少年のような小さな尻を両手で掴み下着の中に手を入れて、いとしむように中指でアヌスを弄ぶ。
聡志は身もだえ、熱を帯びた吐息を私の肩に吐き掛ける。私は欲望をこらえながら聡志を責め続ける。
私はベッドの前で跪き、隆起したショーツを引き下げ、舌を使い、ペニス先端から陰嚢まで、丹念に愛し続けた。
接吻したり、吸ったり、鼻をこすりつけたりしているうちに、聡志は真っ白なシーツの上に倒れこみ身体をくねらせはじめる。両ひざを広げ甘美な二つの玉を口に含むと聡志の快感がいっそう高まるのが分かり、込み上げる欲望を刺激する。

聡志の顔をのぞきこむと、聡志は黙ったまま目を閉じた。
舌を深々と入れるキス。耐えきれなくなり、聡志は口に出して乞う。乞われたことを、私はした。

痛いほど固くなり、痛いほど脈打つ尖ったものを、胎児のように丸めた聡志の身体の深いところに沈めた。
私は性器の根元を窮屈な肉襞に擦り付けるように、ゆっくりと腰を動かす。
聡志は何かに怯えるような声を上げ、底なしの深みに落ちていくように身体を震わせ私に必死にしがみつく。私は聡志の熱と喘ぎ声に酔い痴れた。

聡志の身体は小刻みに震えだし、私の腰にもその震えが伝わり、性器にも痺れが走った。そして、千切れるような絞めつけ。

私の腕の中の聡志がにわかに重くなる。身体から力が抜け、ぐったりとし、支えていなければ、そのまま粘液のように流れ出してしまいそうだった。
その直後、炎のような熱い甘さが、臍の下から脳天へと走り抜けていき、聡志の身体の一番奥深いところに欲望を放った。

同性の恋に酔うのは不道徳なことだろうか。でも、酔わずにはいられないこともある。
私は聡志を必要としている。そしてこれからも必要とするだろう。



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卒業

トミーリピューマーのバラード


森口先輩は校舎に囲まれた渡り廊下を闊歩し、すれ違いざまクラスメイトと冗談を交わし、図書室に向かっていた。
僕は見下ろすベランダに立ち、急いで教室を出ると先輩の姿を追うようにまっすぐに図書室に行く。

図書室に入ると先輩は貸出しカウンターの中に立ち、貸出しカードの整理を始めていた。
「遅くなりました」
声をかけると顔を上げた先輩は笑みを向け、またカードに目を落とした。
僕の声が奥の事務所に届いたのか、司書の奥山女史が事務所から出てきました。
「じゃ~ん、これ入ってきたよ。斉藤くんのリクエスト」
奥山女史はカウンターに一冊の本を置きました。
「奥山さん本当に買ってくれたんですね。ヤッター!」
僕はうれしくて思わず声を上げました。
「君、前から読みたいって言ってたよね。ちょっと予算が浮いたから」

『トミーリピューマーのバラード』

昨年、ラジオの音楽番組で紹介され読みたい本でしたが、値段を知って手が出ませんでした。地元の公立図書館には蔵書がなく、駄目だとは思いましたが学校の図書室にリクエストしていました。
となりで奥山さんと僕のやり取りを聞いていた森口先輩は、奥山さんにことわり本を手に取りました。帯の村上春樹の推薦文を目で追うと、本を開くことなく僕の次に予約を入れました。
海外のミステリーが好きな先輩の琴線に何が触れたのでしょうか、先輩が興味を示してくれたこと、そして密かなチャンスを本が僕に与えてくれたことを悦びました。
まだ誰も借りていない真新しい本が、僕の次に卒業を目の前に控えた先輩の手に渡る……。
もうこんな機会は二度とないでしょう。臆病な僕が言葉にできないことをミステリーの古典的な方法で実行できる。
僕は本に感謝しました。

本の内容は期待以上でした。登場するアーティスト、楽曲は僕の生まれる前の時代のものですが、聴き覚えのあるもので、コンピューター万能の今とは違う当時の音楽制作の様子が描かれていました。当時を知る年齢の読者には興趣に触れることでしょう。
そして週末、本は約束通り次の借り手である森口先輩に渡りました。

週が変わり、日差しの柔らかさに春を感じましたが、僕の心は重く晴れませんでした。偽りのない自分の気持ちを自分の口で直接伝えられない不甲斐なさ。嫌われたくない、それでもどうしても気持ちを伝えたかった。最後だから。
子供じみた仕業が先輩を不愉快にさせてしまったのではないかと、後悔の念に駆られました。

放課後重い足取りで図書室に行くと、カウンターには先輩の姿はありませんでした。奥山女史は事務所でパソコンをにらんでいました。
貸出しカードの整理に取り掛かると、一番奥の本棚に人の気配がありました。
本好きの生徒が放課後早々に図書室に来たのだろうと、本棚に視線を向けると、驚いたことに、先輩が顔を出し手招きしています。
僕の鼓動は激しく足まで震え、ゆっくりと本棚に向かいました。

すぐに僕は先輩に腕を取られ引き寄せられ抱かれました。それはサッカーの試合で得点したチームメイトにする行為のようなものかもしれませんが、僕には十分すぎることでした。
「文字の印を見つけてすぐにわかったよ。これはメッセージだって」
「順番に繋げたら……当たっていた」
「斉藤の気持は薄々気づいていたよ。でも俺に出来ることはここまでのこと」
「だからって、これからも斉藤のことを嫌いになったり、無視したりはしないよ」
「本にいたずらしちゃ駄目だぞ」
先輩は僕の頭をくしゃくしゃにして身体を離し、笑みを向けました。

僕はあふれる涙を制服の袖で拭い、片手を上げ図書室を出る先輩に手を振りました。



せんぱい そつぎようおめでとうございます
せんぱいと いいんをつとめたことのよろこび
わすれません
せんぱいに そんけい いじようの あこがれ 
ぼくが じよしだつたら ゆうきがあつたら
きにしないでください このことは むししてください
ごめんなさい






トミーリピューマーのプロヂュース作品の中ではアーサーアダムスの「ハピネス」が好きです。
twitterにアップしました。お暇があったら聴いてみてください。

あれから十年

彼の名前は、いまは苗字しか思い出せない。
先祖は公家かと想像できる高貴な苗字だった。
僕がその苗字を口にするのは稀で、他人がいるときにだけ苗字で呼び、
二人きりの秘密の時間には親愛を込めて兄さんと呼んでいた。

兄さんの第一印象は優しそうな二枚目。
顔立ちは整い、色白で、そこはかとなく上品さをただよせていた。
兄さんにすべてをゆだねていると、はじめの苦痛が、何か安らぎに似たものに変化しながら
身体の奥から隅々まで伝わるっていった。
そして激しい興奮に疲れ、まどろむ僕の髪をゆっくり撫でてくれた。

男同士のかかわりには、必ず終わりがある。
それが分かっていながら、そのことを少しでも先延ばししていた。

あれから十年。
深夜に帰宅して部屋の暗がりにひとり立ったとき、
街の雑踏で覚えのあるオーデコロンの香りが鼻をかすめたとき。
そしてなかなか寝付けない夜、否応なく思い出してしまう。

兄さん……。



親愛なる読者の皆様いかがお過ごしでしょうか。
十年ひと昔とは言いますが、今は五年ひと昔といっていいほど世の中の移り変わりが早い気がします。
愛読者の皆様に支えられ、稚拙なこのブログもいつの間にか十周年を迎えることになりました。
ありがとうございます。

ツイッターもショートメールもまだなかった頃、個人の創作発表はブログがメインでした。
当時五十も過ぎた私が何を間違えたか、ブログを立ち上げ愚にもつかない話をアップしておりました。
ご厚意にしていただいていた方々のほかには、訪れる方もいらっしゃいませんでしたが、自己満足に浸っておりました。
それでもリンクを張ってくれる方、紹介してくださる優しい方々があらわれ、知らぬ間に十年経っていました。

十年経った今、改めて読み返してみると、記事数の少なさと、文章の進歩のなさ、
そればかりかお話の初々しさもなくしていることに落胆しております。

グッバイ チャーリー

ストーンズピンバッヂ



少年 66

昭和46年1月5日(火曜日)快晴
午前9時48分 
新宿東口中央口改札 S子を待つ
今日一本目のタバコ 身体が揺れる。 

10時6分 
中央通路に黒いロングコートのS子 去年と髪型が違っていた
緩くパーマ 濃い口紅 真っ赤な手編みのマフラー ベルボトムのジーンズ スエードのスニーカー

同15分  
新宿東口武蔵野館 
今日は僕がチケット代を払う 朝一番の上映なのに混雑 左寄りに空席

同30分  
予告編のあと「ギミーシェルター」
初めて見る動くストーンズに感激 キースよりやっぱりミック
カッコイイ 恵子さんがミックが好きなのが良く分かった (たけちゃんの姉)

「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
「悪魔を憐れむ歌」
ミックを狙うピストルを手にした暴漢
暴漢に圧し掛かるヘルスエンジェルス 殺人
真実だろうか……
「ギミーシェルター」のエンドロール

12時15分 
次の上映を待つ人でごった返す狭いロビー S子の手を握る

同30分 
東口駅前 昼食にたけちゃんと行くトンカツ屋にS子を誘うのはためらう
S子に連れられタカノワールドレストラン 
初めて来た 満席で待たされる
スカンジナビア料理は空が 吉井の好みのイタリアンはまだ
二人で壁に寄りかかり待つ 映画の話で盛り上がる
なんとS子はドラムのチャーリーワッツがいいと

同55分 
テーブルに案内される S子に任せてドリアを注文 見たことも食べたこともなかった
ビール飲みたいけれどすぐ赤くなっちゃうからとコーラ
S子の右薬指にシルバーの指輪に気付く
薬指には何かの意味があるはず S子に聞くのは少し怖い
吸殻に付いたS子の口紅
ドリアはマカロニの代わりにライスのグラタンだと知る
黄色のライスはサフランという香辛料
熱い 焦げたチーズがおいしい
S子の小さな唇が気になってしょうがない
ヤバイ

                                      更新日:2011-08-02 17:38:59


8月のその日、友人から届いた早朝のメールでチャーリーの訃報を知りました。
ネットを開くと病気療養中だったとのこと。
「You gotta move」と「Bitch」が脳内で渦巻いたと友人に返信しました。
華やかなロックスターも例外なく歳をとり鬼籍に入る。当たり前ですが……。

冒頭のお話はブログを始める前、FC2小説サイトに掲載した誠に稚拙きわまりないお恥ずかしいお話の抜粋で、高校時代S子と新宿の武蔵野館でストーンズのドキュメント映画「ギミーシェルター」を観た時のことをタイムライン形式で書いたものです。
当時彼女のお気に入りはチャーリーだと聞いて、ずいぶん渋好みだと思いましたが、後々年上の旦那と結婚したことで納得しました。

親友のギタリスト曰く、名ドラマーとは歌手がいかに曲を歌いやすくするように叩き、歌声を引き立てることができるのが名ドラマーだと聞かされことがあります。
チャーリーのドラムは、けっして派手ではありませんが、ミックの歌を引き立てる重要な担い手であったことを古いストーンズの曲を聴き返して、改めて思い知らされました。
合掌。

画像はストーンズ初来日公演の時、東京ドーム前の出店で買ったピンバッヂ

あの頃

マックスフィールド・パリッシュ

親愛なる読者の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
オリパラはどうにか閉会しましたが、依然コロナの猛威は収まらず、私も含めまわり中から悲鳴が上がっております。
いつもながら創作意欲がわかず、新しいお話が浮かびません。
それではと、困ったときの徒然話ということでお付き合いのほどよろしくお願いします。

病気を機に身辺の整理をしておこうと思い、まずはレコードの整理を年初めから始め、今は本棚の整理に取り掛かっています。
しかし始めたのはいいものの、レコードと違い本や雑誌はペラペラとめくっては時間の経つのを忘れさせ、一向にはかどりません。
そればかりか、本屋のレシートにはじまり、メモ書き、絵葉書、診察券等、しおりのように挟まれた紙切れの数々がその頃を思い出させ、ひとり感慨にふけっております。

写真は当時読みふけっていた「中国人の知恵」という新書にしおりのように挟まれていた展覧会の半券でございます。
「マックスフィールド・パリッシュ展 アメリカ独立二百周年記念」
鈍い頭をフル回転させ、遠い昔の記憶を呼び戻してみました。
独立二百周年といえば1977年、私二十一歳の時のものです。今でこそしょぼくれたジジイですが、その頃は血気盛んなやんちゃ坊で夢の渡米を実現させるため走り回っておりましたが、結局は夢を叶えることができませんでした。

平日の昼下がりに仕事場の電話が鳴りました。相手は高校時代、彼女の高校の文化祭で知り合ったK子からでした。近況を報告しあい、お互いなつかしさから会うことになりました。
渋谷に展覧会に行きませんかと私が誘ったと記憶しています。
K子は中学から競泳に励み、高校時代は都大会、さらには国体まで手が届くほどでしたが膠原病を患い、強い薬の副作用が全身に表れていました。

渋谷の駅で待ち合わせ、たぶん公園通りにあったと思いますが、パルコに向かいました。
当時デパートは商品販売だけでなく文化事業にも力を入れ、上層階に芸術スペースを設け、入場者数を競っておりました。
なんと「ダリ展」を新宿伊勢丹で見た覚えがあります。
まあデパートとしてはいい時代だったのでしょう。

マックスフィールド・パリッシュの絵については全く記憶にありません。(笑)
趣味ではなかったのかもしれません。それよりもK子のアメリカへの旅、ロスからニューヨークへの全米横断一人旅の話で大いに盛り上がりました。
聞けば高校卒業後、横田でベビーシッターに応募して英会話を身につけ、持ち前の明るさと社交性で将校たちと知り合い、アメリカ行きが決まると、万が一具合が悪くなったら連絡するようにと全米のエアーベースの連絡先と紹介状を渡されたそうです。
うらやましくもありましたが、彼女のバイタリティーと行動力に頭が下がりました。

成田に見送りに来てほしそうでしたが、彼女のご両親もいることで行きませんでした。
何通かエアメールが届いた覚えがあります。翌年帰国したと連絡があり、新宿で会いました。
無事を喜び、アメリカ話を肴にちょっとだけアルコールで乾杯しました。
お土産に出来たばかりのニューヨークのタワーレコードに本屋のように積み上げてあったという推薦盤、ギタリスト「アール・クルー」のデビュー盤を貰いました。レコードは今もコレクションにあります。
その後彼女とは、私の生活環境の激変もあり会うことはありませんでした。

どうしてこんな話を皆様にお聞かせしたのか……。

すでにお知らせしたように、大学病院に救急搬送され、様態が落ち着き、リハビリが始まりました。
短期記憶力の回復と並行して運動機能の回復と強化が目的です。二人の女性リハビリ士が私の担当になりました。どちらも三十歳代のベテランです。

毎日顔を合わせ気心が知れると、お互いいろいろな話をするようになりました。
すると一人がK子と同じ苗字だったことに気づき、聞けば住まいは当時のK子の家に近いような気がしました。
あれから一人っ子のK子が結婚して子供を授かり女の子だったら、ちょうど彼女と同じくらいの子がいても不思議ではありません。
なぜそんなことを思ったか、大晦日までも病院内を駆け回る頑張り屋の彼女に、S子の姿をだぶらせていたのでしょう。
勿論確かめたりはしませんでしたが……。

つまらないジジイの思い出話にお付き合いありがとうございます。
皆様のご自愛を祈ります。


梅雨の夜に

身体をすりよせ瞼を閉じるユウに優しい気持ちが湧き、俺はユウの柔らかな長い髪をかきあげ、寝が入りをうった首筋にそっと唇を当てた。
背中から覆いかぶさった俺の下でユウはくすぐったそうに身を縮めた。
それでも舌の動きが身体の芯に届いたのか、ユウの滑らかな肌が発熱し、唇を耳たぶに移すと、恥ずかしそうに顔を持ち上げ妖艶な笑みを向け、俺を誘った。

押し付けた太腿の間からユウの小さな尻に手を差し入れ、硬くなりはじめた性器に指を絡めると、ユウは手が動きやすいように軽く膝を立てる。
手の中で細い性器が硬さを増し、蕩けた蜜が指先を濡らす。
腹に力を入れて耐えるユウの声がふるえ、手を絡めたまま身を浮かせると、ユウは俺の下でむきをかえ、俺の胸に顔をすり寄せ抱きついた。

「さっきしたばっかりなのに……」
下腹を突く俺の性器を嬉しそうに握った。
「ずっとリモートだったから」

梅雨の夜はまだはじまったばかり。



親愛なる読者の皆様、大変ご無沙汰しております。
寄る年波に、文字通り頭の先からつま先まで身体中ガタがきて、コロナに怯えながら、昨年は3回もMRIを撮る始末でした。

おかげさまで、どうにか大事には至りませんでしたが気力がわかず、ブログは休眠状態で、留守中に訪問いただいた皆様には、ご心配ご迷惑をおかけしまして申しわけありません。

走り書きしといたものを、悩みながらもアップしました。
短すぎてお話にもなりませんが、生存報告としてお付き合いいただければ嬉しい限りです。

本当に短い夜のお話 その4

僕の身体を押さえつけて身体を重ねる男の姿が涙で滲む。

腹の底から突き上げられ、身体と神経のすべてが壊れそうな恐怖が襲う。

それでも腰から湧きだした熱い甘さが、脳へと走り抜け、僕は泣き声を上げ男にしがみついた。


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