夜のお伽噺

アルのオリジナル小説置き場です

茶の道 前編

みなさん、茶の湯とは、一服のお茶を、いかに心を込めてたてて差し上げるか、ということから成り立っています。おいしく召し上がっていただくために、茶室を清め、道具をそろえ、季節の花を活け、心を尽くしてお点前します。
お茶のお点前は、歩き方から、帛紗のさばき方と、ひとつひとつおろそかにしないようにと教えられます。
でも茶の湯はとくべつ難しいことはありません。私たちの日常の生活の中に生きている礼法であり、心の通じ合う社交であり、閑寂な美しさを求めるものです。

神妙な面持ちで正座する茶道部員を前にして、私は茶道について語ります。
二十数年前、在校生だった私は、この茶室で恩師である峰千家家元、小野寺香雪先生の話を聞いていました。その時はまさか将来、私が母校で茶道を教えることになるとは夢にも思っていませんでした。

男子校に茶道部と、驚かれる方もいらっしゃると思いますが、本校創始者の文武両道の理念に基づき、日本古来の文化、精神を学び、継承することも教育方針に掲げており、茶道部の歴史は古く、開校間もなく創部されています。
四十路を前にして師範を許され、弟子に稽古をつけ、さらに、こうして母校で教えることが出来るのは、小野寺香雪先生の厳しい稽古と特別な恩顧によるものであります。
茶道の心得が誰もいない商家に生まれた私は、茶道に関心があったわけではありません。興味すらありませんでした。
そのような私が茶道にすべてを捧げることになったのは、ある男との出会いがあり、それは運命の導きとしか言いようがありません。


その男、青柳武は人形町の裏路地で小さな模型店を営み、夜になると二階の自宅に生徒を個別に呼んで家庭教師をしていました。
そもそものきっかけは、青柳の店で毎日のように道草する小学六年の私が気になったようで、青柳が声を掛けてきたのがはじまりでした。
アイドルのような美青年で、私は青柳の身体から何かが放たれていることを子供心に感じました。それは私の憧れがそう感じさせたのかもしれません。

青柳の柔らかな物腰、子ども扱いしない態度。憧憬もあり気の許せる間柄にすぐになりました。おやつをいただき、学校での些細な出来事を夢中で話す私に、笑みを絶やさず嫌な顔ひとつしない青柳は、一人っ子の私には年の離れた兄のような存在に思えました。
店の奥の二畳ほどの板の間に胡坐を組み、模型を組みたたている青柳の膝の上にのり、制服の半ズボンから出た素足を擦られても、嫌ではありませんでした。
そして、なぜか扉の閉まらない和式のトイレを跨ぎ小用する私を見詰める青柳の視線に、好意以上の性的なものを感じ、恥ずかしさと妙な満足が入り混じる複雑な気持ちになっていました。
思い返すと、私は自分の中に隠れていた、同性愛の小さな種の存在に気が付きはじめていたのかもしれません。

成り行き通り、私は中学一年から青柳の個人指導を受けることになりました。膝を突き合わせての勉強は身に入りましたが、教師と生徒を越えた関係も発展していきました。
何気なく膝に置かれた青柳の手が、日を追うことに大胆になっていきます。青柳の手に、とても振り放すことの出来ない魔力を感じた私は、青柳の言いつけに逆らうことなく、ただ頷いていました。
小さかった同性愛の種は、青柳に水を与えられ日増しに膨らみ、芽生えていきました。

勉強が終わると、私は青柳と向かい合い、畳に両手をつけお辞儀をすることが決まりでした。そして私は青柳の許ににじり寄ります。青柳は膝立ちした私を片手で抱え、ジーンズの上から尻を撫で、股間を撫上げていきます。
私の下半身に変化が現れると青柳は手を離し、お尻をぽんと叩き、それ以上の行為にはつながりませんでしたが、興奮した私は、トイレに駆け込み青柳に見られながら、小水を迸らせ気を収めるのが常でした。

学期末試験で好成績を上げた私は、喜び勇んで青柳に報告に行きました。
青柳は自分のことのように喜び笑みが絶えません。
頭を撫でられ、成績に気をよくした私は青柳に甘え、いつも以上の性的な刺激を期待していました。気持ちが伝わったのか、股間を撫でていた青柳の細く長い指がジーンズの中を探ります。
青柳の呟きに、自分ではしたことはないと告げます。自慰行為、オナニーという言葉は知っていましたが、具体的にどのようにするのか、どうなるのかは知りませんでした。

下半身を裸にされ、痛いほど勃起した性器を見られる恥ずかしさ、真上を向いた性器に青柳の柔らかい指が絡まり、一瞬息が止まります。
滑るように蠢く手の刺激で腰のあたりが甘だるくなり、溶けそうな気分に酔います。青柳に答えるまでもなく、沸き起こる気持ちの良さは私を虜にさせ、息が弾みます。
激しくなる鼓動、怖いような興奮、私は青柳の腕につかまります。身体の内から、何か温かいものが絶えず湧いては溢れ、出口を求めています。
おしっこが漏れそう!と訴えた私は逃げる腰をきつく抱え込まれ、青柳の力の籠った指が濡れた性器を扱きます。
目の前で火花が散った瞬間、声を荒げた私は強い快感で全身を戦慄かせ、激しく飛び散る精液が何度も畳を叩きます。
生れて初めての精通は、青柳に支えられなければ、立っていられないほどの衝撃でした。


つづく。


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ひと夏の経験 12

遠山さん、起きて。
あれ、ユミさん。
こんな時間にどうかしましたか?
俺は寝ぼけ眼をこすりました。
遠山さんに見てもらおうと思って。ウフン。
ユミさんは思わせぶりな仕草で、丈の短いスカートを摘まみます。
ねえ、見て~ぇ。
小首を傾け、裾をゆっくりたくし上げました。
ナント、アソコの部分が透けた真っ赤なパンティー!
ウアアア!
驚いて飛び起き――起きましたが、視線の先に違和感が。
ウン?
なぜ?その部分にモザイクが……。

雅子ママがひろげた小早川さんの透けたパンティーの毒気に当てられた俺は、その晩、とんでもない夢を見た。幽霊の小早川さんがユミさんに変身して、俺を驚かそうと現れたのかと思ったが、よくよく考えれば、幽霊が着替えることは出来ないはずだ。俺の内なる願望が夢を見させたのか。
しかしなぜ、モザイクが掛かっていたのだろう。アダルト動画の見過ぎが原因か。それとも、男性器でも女性器でもない、俺の知らない未知なるものがモザイクで隠されていたのか。
悩みながらも俺は甘い気持ちを枕に抱え、また眠りに落ちました。

午後遅く、鳴り止まない不審な電話に出ると、あのノリ子さんからでした。
「遠山さ~ん!ノリ子で~す!」
店での出来事などすっかり忘れたような、遠慮のないテンションの高い声に、思わずスマホを耳から離しました。
「あのね、ママから聞いてると思うけど、遠山さんのところに、ユミの荷物を取りに行ってね、て頼まれたのね」
「でもママの描いた地図が酷すぎて、今ここ甲州街道に停めてるのね……」
「ナビがあれば、住所を言いますが」
この辺は一方通行の道路が入り組んでいるため、電話で道案内するのは難しいのです。
「ナビ?ナビはあるけれど――ワカンナ~イ」
ひねた女子高生のような言い草に、イラッときました。
「画面にタッチしてください」
「画面、画面は見てるけど……」
「オイ、遠山!女は機械に弱いんだよ!つべこべ言わずに出てこいや!」
急にノリ子さんの口調がドスの効いた男声に変わり、ノリ子さんのエルボーが胸元に蘇ります。俺は電話口でヘコヘコと頭を下げ、鼻息を窺いました。
「わ、わかりました。エヘヘ。どの辺ですか?」
「ボウリング場のそば!すぐ来いよ」


「男の匂い!いえ、男子の匂いね!」
ノリ子さんは部屋に入るなり鼻を膨らませました。
「この掃除してないガチャガチャがいいのよ。男子の特権よ。ちょっと片づけたくなっちゃうわ」
「でもね、男の子って片づけようとすると怒るの。ヤメろ!なんて怒鳴って。何か見せたくないものがあるのよね」
訳の分からない独り言を呟き、男のひとり住まいに、よからぬ物がないかと部屋中を嗅ぎまわります。
なんてことでしょう。女の鋭い勘、いえ男の勘でしょうか、小早川さんもそうでしたがノリ子さんも、床に何段にも重ねた分厚いファイルの一番下から、「ほら、こんなの出ました」と嬉しそうに例のサシコの写真集を探し出しました。床にしゃがみ、興味津々と写真集をひろげました。
ノリ子さんのローライズのジーンズから艶やかな下着がはみ出しています。男が穿いているのは承知ですが、錯覚を起こし目のやり場に困ります。

「フ~ン……遠山さん、この娘のファンなの?」
少々棘のある言い方でノリ子さんは俺の顔を覗きこむように見上げます。俺は指先を弄って本音を誤魔化しましたが、その冷たい視線に抗うことなど出来るはずはありません。
「――特別ファンというわけでないのですが、話題の写真集だから、つい……」
たいして関心がないとばかりに、肩をすくめました。大いに関心はあります。
「そうよね。遠山さんが、こんなおかめ好きだなんて言ったら、趣味疑っちゃうわ」
なぜか憤るノリ子さんにうろたえ、言葉に詰まりました。
「お隣にいるお姉さんみたいで親近感がわくのかなぁ……」
俺は新人女優を売り出す常套句のような言い訳をして、隣のお姉さんなど見えるわけのない、窓の外に視線を泳がせました。
「そうよね~ぇ」
「よく顔を合わせる隣のお姉さんが、こんな下着姿で寝そべっていたら気になるわよね。お隣同士だもの」
急に機嫌を直し、目尻を下げたノリ子さんは写真集を閉じました。
きびしい検閲が終わり胸を撫で下ろしました。


小早川さんの部屋のドアを横目で通り過ぎ、俺とノリ子さんは小早川さんの荷物を車に乗せ終えました。
「遠山さんありがとうね。これでもしユミがどうなろうとも、彼女の秘密は守られたわ」
「ユミも安心していると思う。本当によかった。よかったよ……」
ノリ子さんも小早川さんの内情を知っているのでしょう。小早川さんの安否を気遣いながらも、厳しい父親に秘密を隠し通せたと、ほっとした様子です。
額の汗を拭い、涙を隠すノリ子さん。ユミさんが幽霊になってしまった現実を突きつけられ、お店のカウンターで背中を震わせていたノリ子さん。
容姿は性別不明ですが、格闘技を習う男らしい性格。その反面、女性のように涙もろい。どちらもノリ子さんの偽らざる性格に違いありません。

「動いたら、お腹が空いたわ。遠山さん何か食べに行こう」
まさかノリ子さんから食事に誘われるとは思ってもいませんでした。食事の最中に機嫌でも悪くしたら……断る口実はすぐに浮かびました。
「ノリ子さんが気に入るようなお洒落なお店がこの辺には……」
「わたしね、気取ったところは苦手なの。メシはガツツリ食べたいのよ」
まさかの体育会系の男子のような返答に断る言い訳が思いつきません。俺は諦め覚悟を決めました。
「行きつけの、赤のれんのラーメン屋さんでもいいですか?」
ノリ子さんの瞳が輝き、何度も頷きます。
ノリ子さんは俺と腕を強引に組み、軽やかなステップを踏みだします。そして俺は引きずられるように、ズルズルと。

ラーメン、チャーハンと餃子、さらにレバニラ炒めと、ノリ子さんの旺盛な食欲に目を見張ります。
「わたしね、お休みの日はね、食事はいつもひとりなの。外に食べに行こうと思っても、オカマが食べに来たって、お客さんが嫌がるところもあるから、外ではほとんどしないの」
「遠山さん、ひとりでご飯食べるのって寂しいわよね」
「確かにそうですね」
ラーメンをすすり頷く俺にノリ子さんは顔をほころばせました。
「あのさ、こう向かい合って、お話しながら食べると、おいしさも違うわよね」
餃子を頬張り頷いた俺にノリ子さんの笑みがこぼれました。
「自炊してるの?」
「たまにしますが、ほとんど外食です」
「一人分作るのって、不経済なのよね」
その通りと頷く俺に含み笑いするノリ子さんです。

「今日はさ、遠山さんと一緒だから、わたし思いっきり食べられたわ」
満ち足りた表情のノリ子さんは小さなコンパクトを開いて口紅を直し、科を作ってフフッと笑いました。その違和感のない慣れた仕草に見とれてしまった俺は、慌ててコップの水を飲み干しました。

「ご馳走様でした」
運転席に向かい頭を下げる俺に、ノリ子さんはクラクションを鳴らし、小早川さんの荷物を載せた車は駐車場を出ていきました。小さくなる赤いテールランプに手を振り、肩の荷がまた一つ降りたことを実感しました。




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ももこと、妙子と、乳癌と

さくらももこが亡くなりました。53歳、若いですね。熱心な愛読者の悲しみは察するに余ります。漫画は言うまでもありませんが、彼女の書く話の可笑しさ、文章の上手さも、さくらももこの大きな魅力でした。私の本棚にも彼女のエッセイが何冊かあります。
「ちびまるこちゃんの作者」という冠が付いてしまうのか、どれも老若男女が安心して読める作品ですが、もし、彼女が小説家に転身したら、田辺聖子のような多才な女流作家になったのではないかと思っておりました。残念です。


乳癌で亡くなる方、それも若い方が多いですね。小林麻央もそうでした。
実は拙作「チコ」に登場する妙子のモデル、幼馴染みのS子も乳癌でした。
古い読者は、S子が誰なのかお察しいただけると思います。S子には年上の旦那と一人息子がいます。S子とは年に一度、いや数年に一度、忘れたころに彼女から連絡がありますが、十年近く会っていません。
三年前の春、S子から電話がありました。時節の挨拶を済ませ、お互いの近況を報告し合いました。電話では話しづらい相談があるから会ってくれと言います。急いた様子なので、翌日吉祥寺で会うことになりました。

私の薄毛をさんざんからかい、ハゲの自虐ネタで大笑いした後、「わたし癌なの」って、何事でもないように呟きました。
驚き慌てました。聞けば、入浴中に左の乳房に本当に小さな硬い物があることに気が付き、脂肪の塊かと思ったが、近所の総合病院で検査したところ乳癌の疑いが濃厚と言われたこと。セカンドオピニオンで癌研の乳腺外科を受診したところ、初期の乳癌と診断された。
治療は手術をすることになったが、乳房を残す温存手術か、乳房を取る全摘手術にするかどちらでもいいと医者は言う。手術当日までに決めてくれと。

いの一番に旦那に相談したが、妻が癌を宣告されただけで、取り乱し、まったく頼りにならない。それなのに、そんな手術が選べるような初期なら手術せずに、やれ免疫力アップだ、漢方薬だと、うるさくてかなわない。
「どう思う?」って……。

私同様、S子も早くに両親を亡くしています。女兄弟でもいれば、親身に相談にのってくれるでしょうが。
しばらくぶりに会って、病気で驚かされ、どう思うって相談されても、返答に困りました。
そりゃ若い時、一度だけ、S子の乳房に触ったことはあります。小ぶりで形の良い乳房だったと記憶しています。
乳房は女の命、女性美の象徴などと言われています。ですから医学の発達で、乳房を残す手術が行われるようになったのでしょう。しかし病は人それぞれ、治療はケースバイケースです。

相談したいと言ってきたS子でしたが、S子の本心はもう決まっているようでした。
S子は、子供の頃を知り、ヤンチャした気の知れた友人に話を聞いて欲しかったようです。
夕食に誘いましたが、旦那が早く帰ってくるからと、良妻賢母ぶりを見せつけました。
別れ際、いたずら心を起こしてS子の左胸を触りました。乳房はあの頃より大きくなっていました。手の平をぴしゃりと叩かれましたが、怒ってはいませんでした。

しばらくして手術が無事終わり、通院していると連絡がありました。どっちの手術を選択したのか尋ねましたが、「街中でおっぱい触るバカには教えないよ」
元気なS子の声に安心しました。


ひと夏の経験の続きは、もう少しお待ちを。


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ひと夏の経験 11

信じがたいことですが、生まれて初めて遭遇した本物の幽霊が、誰もが思い描く幽霊とはあまりにもかけ離れ、俺は親しい友人のような気楽な付き合いしている。
しかし、果たして生死の境をさまよう小早川さんにとっていいことなのか。
特殊な事情があるとはいえ、家族に知らせないでいいのか。小早川さんの口からは家族云々の話は全くないが、俺はとんでもない間違えをしているのではないのだろうか。
ひとりで抱え込むにはあまりにも重大な事態。頼りにできるのは雅子ママしか思いつきませんでした。もう一度雅子ママと真剣に話をしなければなりません。俺は雅子ママの助けを心から求めていました。
長い呼び出し音の後、電話は繋がりました。
「あのー雅子ママさんですか?遠山です」
間を置いて、酒がれしたあの声が耳にこもりました。
「あっ、遠山さん」
「――名刺、気づいたのね……」
昼間のこの時間、休んでいたのでしょうか、ダミ声が少々気落ちしているように聞こえました。

暑いから、お疲れのようだから俺が行きます。いえ大丈夫、私が行くわ。押し問答の末に、私に行かせてちょうだい!と例の強い口調で凄まれ、雅子ママが笹塚に来ることになった。
約束の時間に笹塚駅近くの商業ビルの前にタクシーが止まり、ゆったりした白いブラウスにパンツ姿の雅子ママが降りたちました。
昨夜のお店での印象と全く違う姿に、雅子ママの素性を知らない人には、どこにでもいるおばさんのように見えると思います。やはり疲れているようで、大儀そうに肩で息をしています。
込み入った話が出来るように、俺はビルの二階にある広いカフェに誘いました。ここは安サラリーの俺には敷居が高い店ですが、メイド服のウエイトレス見たさに時々出掛けます。
小柄なメイドさんに案内され駅前を見下ろす窓際の席に向かいあって腰を下ろしました。
「可愛いメイドさんだこと。ね、遠山さん」
雅子ママはニヤリと笑い、今日もメイド姿に一瞬目を奪われた俺は、気まずさをごまかすため額の汗をおしぼりで拭いました。

「遠山さん、無理やり呼び出してごめんなさい」
「私もノリ子も信じることなどできなかったけど、あそこまで言われるとなんだか怖くなっちゃって。でもね今も正直言って半信半疑なのよ……」
あそこまでの話とは、雅子ママとノリ子さんと付き合いのある者、まさにユミさんしか知り得ない二人のプライベートなことでした。
「遠山さん、あなたには失礼だったけど、一刻も早くお店から出ていってほしかったの」
「ノリ子は若いだけあって、オカルトチックなことを信じやすいのね。妹のように可愛がっていたユミちゃんが幽霊に化けたって、ノリ子の落ちこみが半端なくて。私、お店の子たちにどう説明したらいいのかわからなくなって……」
「私、長いこと夜の商売をやっていてね、信じてだまされて辛酸をなめたことがいっぱいあるわ」
「それでもね、事がユミちゃんの生死に係わることだから、もう一度、できれば昼間にお会いして、きちんとお話ししなければいけないと思って、名刺をポケットに入れたの」
「もしあなたが適当なこと言っていたなら、昨夜の話がデタラメなら連絡はしてこないでしょうから、あなたを試したの」
「だから、電話、掛かってこないでって、ずっと祈っていたわ」
「悪い冗談なら、後々までお店で笑い話になったのに—―遠山さんから連絡もらって、冗談じゃなくて本当なのって、怖くて震えた」
「遠山さん、ユミちゃんの荷物を預かっているって言っていたわよね?――まだ、あなたを疑るわけではないのよ。それを確かめられたらと思って」
俺を見据える雅子ママの真剣な眼差しに頷きました。
百聞は一見に如かずとはよく言ったものです。俺の説得力の無さ、話し下手で雅子ママにいくら説明しても信じてはもらえませんでしたが、預かっているユミさんの衣装を見てもらえば一目瞭然です。

運ばれてきたアイスコーヒーを一気に飲み干した雅子ママはおかわりを頼み、俺はその豪快な飲みっぷりに圧倒されながら、小早川さんと歩いた夜の散歩のことを話しました。
お店から追い出され、不機嫌だった幽霊の小早川さんと花園神社に立ち寄り、幽霊に驚くカップルをしり目にお参りしたこと。
小早川さんがT大付属病院の集中治療室にいることをその時はじめて知ったと告げると、あきれ顔だった雅子ママの顔色がみるみる曇りました。
病院の前で別れると二度と会えないような気がして、小早川さんをマンションまでの散歩に強引に誘い、ユミさんに会ってみたいと迫っても、小早川さんは返事をしなかったこと。
それでもベッドに並んで腰を下ろすと、安心したように寝息を立てる小早川さんに安堵し、うたた寝している間に小早川さんが消えていたことを。
「遠山さん、ありがとね。ユミちゃんの隣にあなたがいて本当によかった……」
ハンカチで目頭を押さえる雅子ママに、子を心配する母の母性を感じました。


黒いレースの日傘を差す雅子ママをマンションまで案内しました。遠目に見えたパトカーがマンションの玄関前に止まっていて、雅子ママと思わず顔を見合わせました。
7階でエレベーター降りると、俺の部屋の隣、704号室、小早川さんの部屋のドアが大きく開かれ、午前中だけいるユニフォーム姿の管理人さんが不安げな様子で廊下に立っていました。
そこが小早川さんの部屋であることをすぐに察した雅子ママは俺の腕をきつく握ります。不吉な予感で血の気が引きます。管理人さんと視線が合い、俺は挨拶しました。
「こんにちは。隣の遠山ですが、小早川さんどうかしましたか?」
俺は平静を装い尋ねました。
「――連絡がつかないそうで……」
管理人さんは俺にどこまで話していいのか、困惑した表情を向けます。
部屋の中には二人の警察官と初老の男性が立っていました。
俺は中の三人にも聞こえるように言いました。
「弓弦さんとは先週末会ったばかりなのに……」
小早川さんの本名を名乗り、全くの他人でもないことを匂わせると、一人の警察官が戸口に出てきました。
「こちらお隣の遠山さんです」
すぐさま管理人さんは俺を紹介しました。俺と雅子ママを一瞥した警察官は後ほどお伺いすることがあるかもしれませんと言い残し、部屋に戻りました。

警察官の不愛想な対応に管理人さんは戸口を離れ、俺たちを手招き、声を潜めて事の次第を聞かせてくれました。
「小早川さんのお勤め先の方が、小早川さんと連絡がつかないからと、管理会社に連絡をいただいて、私が部屋を見に行ったのですが、留守でした」
「管理規約でうちの会社が勝手するわけいかないので、小早川さんのご家族に連絡して、お父さんがいらっしゃったのですが――ドアに鍵が掛かっていなくて……警察に立ち会ってもらった方がいいと、お父さんの承諾いただいて、私が通報しました」
「まあ!」
事の成り行きのすべてを知り、思わず上げた雅子ママの性別不明の声に不審な眼差しを向けた管理人さんに、俺は咄嗟に出任せを口にしました。
「叔母です」
俺は振り返りざま雅子ママに目配せしました。
「はじめまして。いつも甥がお世話になっております」
雅子ママは落ち着き払って管理人さんに頭を下げました。さすが雅子ママの切り返しに舌を巻きました。

「そ、それじゃ小早川さんは、ま、ま、痛テ!」
雅子ママは俺の腕を荒っぽく引っ張り、強引に会話を打ち切らせ、何度も笑顔で管理人さんに会釈し、急いで俺に部屋を開けさせました。俺の背中を突きとばし玄関に押し込め、慌ててドアを閉めました。
「もう遠山さん、なに言いだすかハラハラしたわ。お店で話したような幽霊のことを警察官に言ってごらんなさい。大変なことになるから」
俺は小早川さんの身元が、まだ分かっていないことに落胆して、ベッドに座り込み肩を落としました。
「でも、でも、早く、家族に知らせないと……」
「そりゃそうだけれどさ、私たちだってあなたの話信用できなかったのに警察が信用すると思っているの!」
「よく考えてごらんなさいよ。連行されて尋問受けて、訳の分からない話をすれば、犯罪の嫌疑をかけられ、社会人の立場が無くなるわよ」

世間知らずに手を焼き、やれやれと呆れた様子で雅子ママが隣に腰を下ろし、俺の膝をポンと叩き揺すりました。
「遠山さんって、やさしくて、バカが付くほどまじめで他人思いで、危なっかしくて見ちゃいられないわよ」
「でもね、ユミちゃんの手助けしてくれて、本当に感謝している」
「前にね、ユミちゃんから聞いたのだけど、さっき部屋にいたユミちゃんのお父様、厳しい人でね、まあ、私から言わせれば分からず屋だけれど—―学生の頃ユミちゃんが派手な色の服を着ると、オカマにでもなるのかと、すごい剣幕で殴られて。台所でお湯を沸かしただけでも怒鳴られたそうよ」
「お母様はユミちゃんのこと何となく気付いていて、庇ってくれたのだけど、お前のしつけが悪いと、お母様まで叱られてね」
「だからユミちゃん、部屋の物をお父様に見つかると大変なことになるって思ったのね。お母様に迷惑掛けられないって倒れても気が気じゃなかったのね」
なぜ小早川さんが幽霊になってまで、俺に助けを求めたのか納得し、ひとつ肩の荷が下りた気がしました。それでも、浮かぬ顔の俺を気遣い、雅子ママは慰めてくれました。
「遠山さん心配ないって。警察は優秀よ。今日中に病院にいるユミちゃんの身元は判明するわよ」

俺は雅子ママの言葉に力なく頷きました。そして、部屋の隅にシーツで包んで隠しておいた小早川さんの預かり物、山積みの女性衣類を見せました。
「部屋から持ち出してくれた物ね。どれも見覚えがあるわ――ユミちゃんたら大騒ぎさせて……」
雅子ママは一着ずつハンガーが付いた洋服を手に取り、衣装ケースの中身を確かめるように蓋を開けました。
「遠山さん、衣装ケースの中身見た?」
「いいえ、他人様の預かりものですから」
俺はきっぱりと答えましたが不安になりました。
「何か貴重品が入っているのですか?」
「貴重品と言えば、貴重品かしら—―コ・レ!」
雅子ママはいそいそとケースからパンティーを取り出し、俺の前でひろげました。一枚二枚、何枚もの色とりどりのパンティーが目の前に並びます。顔を赤らめ目を泳がす俺にトドメの一発!
「こんなに小さいの、私にはお尻がはみ出ちゃうわ。見て!」
アソコの部分が透けた真っ赤なパンティーに目を奪られ……俺は恥ずかしくも驚嘆の息を音を立てて呑み込みました。
「こういうものが童貞ちゃんの甥っ子の部屋にあったらマチガイの元だわ。叔母さん心配だから、すぐにノリ子に取りに来させるわ」
そう言ってほくそ笑んだ雅子ママは、惜しむ暇なくサッサと仕舞ってしまいました。


つづく。


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ひと夏の経験 10

薄目を開けると、朝日と呼ぶにはいささか強い陽が、カーテンの隙間から差し込んでいました。ぐりぐりと目をこする。まだ昨夜の出来事の余韻が残っていて、身体が重かった。
搬入先のT大付属病院の前で集中治療室に戻ることを躊躇した小早川さん。ここで別れたら二度と小早川さんと会えないような胸騒ぎを覚えた俺は、無理を承知で病人の幽霊にマンションまで歩かせたが、俺も小早川さんも夜の散歩を満喫したことに後悔はなかった。
それでも疲れた様子をみせた小早川さんは無事に病院へ戻っただろうか。
ベッドに座り込み、ぼんやりとスマホを眺める。誰もいない道をならんで歩きながら交わした会話、俺の隣で寝息を立てる小早川さんの姿が脳裏に蘇えります。

私ね、ママのお店を手伝わせてもらってから、安心したというか、いろいろな悩みから解放された気がする。お店の人はみんな人生経験豊富で、私のような中途半端な人間の、誰にも相談できないことを真剣に聞いてくれて、すっごく救われた。調子に乗って怒られたこともあったけれど、素直に謝ることが出来たの。

ノリ子姉さんはね、女性とはこうあるべきで、こうすべきだと想いというか信念があるの。ママもそう。恋愛に真剣で、惚れた相手に人一倍つくして。
でもそれが相手に伝わらず裏目に出ることもあって、すごく落ち込むの。見ていられないぐらいに。
でもねすぐに新しい恋人を見つけて、あんなに落ち込んだこともすっかり忘れて、ケロッとして嬉しそうにのろけて、それを聞かされたみんなもハッピーな気持ちになって、乾杯!ってね。
男は女性とちがって失恋を引きずるけど、ママもノリ子姉さんもそんなことないように思える。強い女性の心持かな。

私はどうかって?ユミになりきって、いろいろな人に出会って、心惹かれた人もいたけれど、恋愛に発展するまでにはね。正直怖い気持ちがある。まだそれ以上に夢中になれる人と出会ったこともないな。それに軽率な行動でノリ子姉さんに迷惑かけちゃたから。
私のような人間に興味を示す人は、男性ばかりででなく女性にもいるよ。セクシャルな興味を持っている人もいる。そのほうが多いかもしれない。
じつは俺もそのひとりです。小早川さんは俺の気持ちなど、とっくに気付いていただろうが、俺は今さらながら小早川さんに白状しました。
ユミさんの画像を見せられた俺、アイドルとは違う親近感を覚えて、一目惚れしちゃって。頭の中で自分勝手な筋書き立てちゃって。
ねえねえ、どんな筋書き?知りた~い。
秘密です!
ちぇ秘密か……。頬を膨らませた小早川さんのすねた仕草に、俺はなぜかうろたえてしまった。

がっかりした?ユミの正体が男だったことを知らされて。
びっくりしました。テレビに女性と見間違う綺麗で可愛い人が出るじゃないですか。俺には関係ない世界のことだと思っていたけれど、まさかお隣に住んでいたとは思いませんでした。
俺、だまされたなんて思っていません。ユミさんの正体が小早川さんだったと知った今も、ほんとにへんな意味じゃないのです。変な考えじゃないです。一度お目にかかりたかったなと。
お世辞でも嬉しいな。小早川さんのちょっと冷めた口調に、なぜかムキになった俺。
お世辞で言っているんじゃないです!
それじゃ怖いもの見たさの好奇心?
幽霊より怖いものがあるのか、小早川さんは自分が幽霊だということを本当に理解しているのでしょうか。
それに、預かっている衣裳はどうすればいいのです。
着ていいよ。遠山さん、自分の知らない新しい世界が広がるよ。
この俺が似合うと思います?
俺の頭のてっぺんから爪先まで視線を這わせた小早川さんの、思わず漏らした小さな溜息を俺は聞き逃さなかった。

私もね、はじめは鏡に映る自分の姿を見て、ひとり何をやっているのだろうと自己嫌悪に陥ったけれど、体形の課題が見えてきて、それをひとつひとつ克服していくと、あら不思議
見栄えは少々悪いけれど女の子に化けちゃった。
ものは試しにネットで公開すると、つぎつぎ人が褒めてくれてね、そうなると頑張るって欲が出ちゃって、理想の女性像を追い求めてね。
鏡の中の女性に恋してしまうまでになれば、もう無敵かな。
二重人格ということですか。
二重人格とは違うと思う。究極のナルシシズムかな。自己愛、自己陶酔。
それって、ママさんやノリ子さんも同じ気持ちなのでしょうか?
そうね同じ感覚かな。いえ、ママやお姉さんは私のように外見、形からのナンチャッテではなくて、鏡の姿に自分の内心とのギャップに悩んで、本当の自分、本来自分はこうだったはずだと、その姿を毎日真剣に追い求めているの。
なんだか難しそうです。不器用な俺には無理です。それよりユミさんとは会えないのですか?
遠山さん、実物のユミに合って、がっかりして幻滅するかもしれんないよ。
そんなの会ってみなければわかんないでしょ!
鼻息を荒げた俺の物言いに歩を止めた小早川さんは、小さな黒い虫が飛ぶ街灯を物憂げな表情で見つめていました。



冷蔵庫を開けてみたが、朝食になりそうなものは何もありません。買い物に出掛けようと思い立ち、ついでにノリ子さんのファンデーションで汚れたスーツをクリーニングに出さなければと、上着のポケットを検めるとピンクの小さな名刺が出てきました。
それはクラブ雅の雅子ママの名刺でした。思い返しても雅子ママからもノリ子さんからも名刺をもらった記憶はありません。
名刺を裏返すと、流麗な文字で『ユミのことでご相談があります ご連絡ねがいます』
と走り書きされ、携帯の番号が書かれていました。いつポケットに入れられたのか。雅子ママにすごい剣幕で背中を押されて店を追い出された、あの時かもしれません。それ以外は考えられません。
マジックのようなことが出来るのは、水商売の長いキャリアからでしょうか。
感心している場合ではありません。ユミのことで相談とは尋常ではありません。短い文面からママさんの切迫した気持ちが伝わってきます。
一瞬また怒鳴られるのかと気が重くなりましたが、指はすでにスマホのダイヤルをタッチしていました。

つづく。


この度の西日本豪雨により被災された皆様ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

長いお休みを勝手に頂き、ゴメンナサイ。



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ひと夏の経験 9

まいった。
俺の交渉スキルの無さが、二人を納得させられないばかりか、怒らせてしまった。行き場のない思いを持て余して、空を仰ぎました。新宿の夜空には月はおろか星さえも見当たりません。
でも、どれだけ優秀な営業マンが誠意を尽くして説明しても、見えないもの、ましてや幽霊のことを、二人に納得させられることができるのだろうか……責任逃れのようなことを考えてもみましたが、小早川さんの無念さを思うと、やはり自分の至らなさを思い知っただけでした。

「小早川さん、ちょっと待ってください」
前を行く小早川さんの背中を追います。小早川さんは振り向くことはありません。
すれ違う通行人が一瞬俺の顔に目をとめます。夜の街では誰にも小早川さんは見えないようです。
靖国通りに出たところで小早川さんに並びました。雅子ママの一言が効いたのでしょう、むずかしそうな顔の小早川さんに詫びました。
「申しわけありません。俺の言葉足らずで」
「遠山さんのせいじゃないです。私が無理なお願いをしたから。ノリ子姉さんだけには分かってほしかったけど……」
カウンターで肩を震わせていたノリ子さんには分かっていたと思います。でもその事実を受け入れることができなかったと思います。

「遠山さん、上着の汚れどうしたの?」
スーツの前襟とワイシャツに付いた肌色の汚れに小早川さんは怪訝な表情を向けます。
「これノリ子さんに押さえつけられた時に付いたのかもしれません」
指先で汚れを擦りましたが、上手くとれません。
「化粧品の匂いがします」
汚れに顔を近づけた小早川さんの表情がみるみる曇ります。
「これファンデーションだわ……傷痕を消す治療を受けたと言っていたけど……」
「きれいには消せなかった――みんな私のせい」
残る傷痕を目立たないようにするため化粧品でごまかす。落胆の色をさらに濃くした小早川さんは唇を噛みしめ肩を落としました。

「――私のことを妹のように可愛がってくれて」
そう言って瞳を潤るませる小早川さんに胸が締め付けられます。気の利いた慰めの言葉のひとつも言えない不甲斐なさが身に染みます。
「でも意外とみんな常識的だったのね。だって、幽霊に会うなんて滅多にないことでしょ、キャーキャー言って大騒ぎしてくれると思ったのに。期待外れ!」
涙を拭き払い、唇を尖らせる小早川さんの強がりにも聞こえる言葉に、俺はどういう言葉を返せばいいのでしょう。

「でもさ、遠山さんが私のこと見えていたから、雅子ママにもノリ子姉さんにも気持ちを伝えることが出来て、まあいいかって。思い残すこともないかなって」
吹っ切れたような小早川さんの言葉と表情に、なぜだか俺の気持ちが収まりません。
「――雅子ママは生身で来いと言っていたじゃないですか。生きてもう一度お店に来いということでしょ、生きることを諦めちゃうのですか」
小早川さんは俺の問いに応えず足を速めます。切ない気持ちを抱え小早川さんを追いました。

明治通りの交差点で立ち止まり、振り向いた小早川さんは一転笑みを浮かべ言いました。
「遠山さん、花園神社に行ったことあります?」
「――花園神社ですか……いえありません」
「ほら、あそこ」
小早川さんが指さす方向に目を向けると、確かに神社の鳥居が見えます。
「行ってみません?社殿は閉まっていると思いますけど」
「――かまいませんけど……」
神社に幽霊とお参りに行ってもいいのか、信心深いわけではありませんが、神様が驚かなくてはいいが……。

交差点を左折するタクシーのヘッドライトの明かりで小早川さんの輪郭が消えます。
「酉の市って知っています?11月の酉の日にお祭りがあって、去年ママとノリ子姉さんと三人で熊手を買いに行ったことがあってさ」
「熊手って商売繁盛の縁起物のことですよね」
「夜も遅い時間だったんですけど、露店の飲み屋さんが何軒も出ていてすごく賑やかなの」
「ママも姉さんもこの界隈では有名人でね、いろいろな人から声を掛けられて、お店に誘われて大騒ぎして」
「今年もママは行くのかなって、思っちゃった」
「縁起物って古いのは納めて、新しいのに買い替えるっていいますよね。たぶん行くと思いますよ」
「――そうよね」
その場に小早川さんが一緒にいるのかは、俺にもわかりません。小早川さんも同じ思いのはずです。

大鳥居をくぐり、花園神社の暗い参道の石畳を歩きます。濃い夜の気配があたりに満ちています。ビルの谷間を抜けると正面に花園神社の立派な社殿がありました。
真夏の夜に静かな暗がりを求めるカップルの多さは、やはり新宿という場所柄でしょう。
石段に腰を下ろし、ささやき合う何人かの男性には小早川さんの姿が見えるようです。
彼らの驚く様子が可笑しくて、小早川さんは両手を体の前に垂らし、お決まりの幽霊のポーズをしてふざけています。

小早川さんと並んで拝礼します。まずは深く頭を下げ幽霊と参拝したことを詫び、小早川さんの回復を祈願しました。
「ずいぶん長く頭を下げていましたけど……」
「小早川さんの一刻も早い回復をお願いしました」
こうなった行き掛かり上、俺は生身の小早川さんを雅子ママとノリ子さんにもう一度会わせ、事の顛末を小早川さんの口から二人に語ってほしかったのです。
「遠山さんて、やさしいですね」
「やさしいなんて、はじめて言われました」
なんだか小早川さんの物言いがやわらかく聞こえ、俺は照れくさかった。

遠山さんに案内したいところがありますと言った小早川さんに手招きされ、トンネルのように並ぶ朱色の鳥居をくぐります。奥に社が見えます。
「遠山さんにぜひお参りして欲しかったところです」
“威徳稲荷大明神”
いとくいなりだいみょうじん。厳かで威厳があり、それで徳もあるということでしょうか。
「ママに聞いたのですが、ここは、子宝、縁むすび、恋愛成就のパワースポットで有名なんだって。上を見て」
なんと驚いたことに鳥居に大きな男性器が祀られています。日本中に男性器信仰があることは知っていましたが、大都会新宿にもあったとは……。
「この神様にお願いすれば、遠山さんにもきっと可愛い彼女さんが出来ると思いますよ」
「――そうでしょうか。俺、みんなからダサイ奴だって言われていますから……」
「そんなことないです。みんな見る目がないです。遠山さんがは本当にやさしいひとです。私つくづく思いました。さあ、可愛い彼女が出来ますように、いっしょにお参りしましょう」
小早川さんに促され俺は威徳稲荷大明神に拝礼した。それでも俺の願いは隣で頭を下げる小早川さんの回復を祈願していた。


花の金曜日、深夜だというのに人の波は絶えない。新宿大ガードの下は、生ぬるい饐えた風が、靖国通りから青梅街道へと吹き抜けていた。高層ビルが、時を刻むように赤いランプを点滅させている。
T大付属病院の手前で足を止めた小早川さんの顔色がさえなくなりました。
「私この病院の集中治療室にいます。こうやって遠山さんといると見ないのですが、ベッドに寝ていることを意識すると、綺麗な湧き水の池の畔にいる自分の姿が見えます」
「湖面に映る自分の姿がユミになっていて、かがんで水に手を入れると気持ちが良くて楽になるの……」
川と池の違いはあるが、俺はすぐに三途の川を想像した。川に入ると痛み苦しみから解放され川向こうのあの世に旅立つ。
「でもその時、遠山さんのことが頭をよぎるのです。遠山さんに逢わなきゃって」
「俺にですか?」
「私のことを遠山さんだけが見えて、会話が出来るから安心できるのかもしれません――自分でも上手く説明できませんが、遠山さんのとこに行こうって」
すべてが説明できるほど、人は自分の心を知りはしないのは、こんな俺でもわかります。
幽霊に魅入られてしまったと思いましたが、ここで小早川さんと別れる気になりませんでした。もし今夜ここで別れたら、小早川さんとは二度と会えないような気がしてなりませんでした。俺の気持ちは決まりました。

「もし身体が無理じゃなければ、俺の部屋に来ます?」
「えっ、いいんですか?お邪魔ではないですか?」
「イイトモ~って、ちょっと古いですね」
「かなり古いね」
満面の笑みを浮かべる小早川さんに俺も笑みを返した。人助けならぬ幽霊助けに、なぜか気持ちが弾みました。

明かりの消えたビル、疾走する車。人通りの途絶えた通りを友人と歩く楽しさを俺ははじめて経験しました。
部屋の明かりを消したまま、俺と小早川さんはベッドに並んで腰を下ろしました。
小早川さんの手が俺の手にそっと重なりましたが、感触はありません。
そして俺に寄りかかり安心したように目を閉じた小早川さん。重みすら感じませんでしたが、ほっこりとした気分に浸りました。
俺の力不足で、雅子ママとノリ子さんへの小早川さんの願いは叶いませんでしたが、すやすやと寝息を立てる小早川さんに、少しだけ役に立てたことを実感し安堵しました。

しばらくして目を覚ますと小早川さんの姿はありませんでした。


つづく。


親愛なる読者の皆様、ご無沙汰しております。
案の定、夏が終わる前にお話しを書き終えることが出来ませんでした。
お詫び申し上げます。
言い訳はいろいろあるのですが、絶不調とだけ言わせてください。
続きはまた少し時間が掛かりますが、どうかお許しください。
お義理でも拍手などしていただければ、救われます。



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ひと夏の経験 8

俺の話を信じたのか、それとも匙を投げたのか、雅子ママは疲れたと、ソファーにぐったり寄りかかりました。
「遠山さん、アナタの話は分かったわ」
「ユミちゃんが大変なことになっていることは調べれば分かること、信じましょう」
「――でもね、ユミちゃんの幽霊がお店にいるとはどういうことなの?」
「ユミちゃん、死んじゃったってこと?」
「いえ、小早川さんは亡くなっていません。いませんが、意識が戻らないそうです」
「そうですよね、小早川さん?」
雅子ママの背後でにこやかにポーズする小早川さんは頷きます。
「どこ見て話してるのよ、だれもいないじゃない」
俺の視線を追ったノリ子さんは眉を潜めました。

「遠山さん、どうにか話が伝わったようね」
小早川さんは雅子ママの隣に音もなく腰を下ろしました。
「小早川さん、ひどいです、騙して……」
「へへ、ごめん。でも遠山さんが勝手に思い込んじゃったんでしょ?」
痛いところを突かれた俺は、反論することはできませんでした。

「ちょっと、ユミちゃんの幽霊がいるの?」
「お店の中飛び回っていましたが、やっとママさんの隣に座ってくれました」
「えっ、隣に!」
驚いて飛びのいた雅子ママは隣のソファーを凝視しますが、やはり見えてはいません。
「私には、見えないわ。ノリ子見える~」
「見えな~い」
面白くなさそうな声を上げふて腐れた二人は、当然の疑問を俺にぶつけます。

「なんでアナタにだけ見えて、私たちには見えないのよ?」
「俺にも分からないんですけど、小早川さんが言うには女性には見えない……」
「それは分かるわ、女は感性が鈍いから見えないのよ」
ノリ子さんは俺の言葉を遮り自説を主張します。
俺は二人の顔色を窺い、小早川さんから聞いたことを恐る恐る伝えます。
「――それと男性も見える人と見えない人がいるようですが……」
「オカマには見えないってこと?誰なら見えるのよ!」
眦を吊り上げた雅子ママを両手で制しました。
「落ち着いてください」
「オマエモナ」
息の合った二人の見事なハーモニー、恐るべし。

「小早川さん、いろいろ試した結果、小学生の男子と少年には見えるそうです」
「子供にしか見えないってこと?でも変よね、アナタは見えるのよね?」
「ええ……ですから、こんなにややこしいことに……」
俺は助け舟を求め小早川さんに目で訴えます。
いまだに明解な答えを導くことができない俺を、察し悪い奴とばかりに舌打ちする小早川さん。
「遠山さん、まだ分からないの――子供にしか見えないの」
「純真な心だから見える」
「――それじゃ、私たちには見えないわよーねぇノリ子」
「そうよ、もうドロドロに汚れているもの」
二人の冷笑と小早川さんの冷ややかな視線。
「もう遠山さん、童貞にしか見えないってことなの!」
「……」
「――ハハハ、童貞だけ……だそうです」
なぞは解けました。
俺は自分の頭の足りなさ、考えの至らない愚かさを責めました。
自慢ではありませんが、確かに俺にはそのような体験はありません。
酒の席とはいえ、またもや童貞を白状させられた恥ずかしさ、二人はうな垂れる俺を絶滅危惧種でも見るように好奇の目を向けます。
キャバクラの悪夢が蘇ります。


「童貞にしか見えないだと!」
幽霊が見えるのは童貞だけだった。支離滅裂な言い訳に聞こえたのか、雅子ママの爆弾が破裂しました。
「アナタみたいな大嘘つきはじめてだわ!」
「この期に及んで、自分の童貞を棚に上げて、よくもそんなデタラメが言えるわね」
「ネエ、頭だいじょうぶ?」
二人に信用されないばかりか、頭を疑われる始末です。事態はさらに悪化しました。

「ちっとも話が噛みあわないですね……しょうがない、私が言うことを二人に口伝てしてください」
しびれを切らした小早川さんは、もはや仕方ないと自ら解決に乗り出しました。
それはこの店に勤める小早川さん、いえ、ユミさんでしか知り得ない二人のプライベートなことでした。
両手を胸の前で合わせ、恐山のイタコの口寄せを真似た俺は小早川さんの言葉を一字一句反芻しました。

「ママの住まいは高田馬場の駅に近いマンションで、ノリ子姉さんは赤羽に住んでいます」
狐につままれたような顔とは、まさに今の雅子ママとノリ子さんのことを言うのでしょう、
二人はキョトンとして顔を見合わせています。
「ママがお店の帰りに立ち寄る早稲田の居酒屋にいるアルバイトの男の子がママのお気に入りで……」
「――先月その子の誕生日祝いに赤いビキニのパンツをプレゼントしたら、その子お店辞めちゃって、ママ落ち込んでいる……」
ホンマデッカ!
「ムエタイのジムに通っているノリ子姉さんは、そこに来ている一番弱い中年男性に惚れている……」
「――ママは先週……」
「ワカッタ、ワカッタから、もうやめてちょうだい!」
「ノリ子、気味が悪い……これどういうことなの」
唇を噛み締め、向かいの空席をじっと見つめるノリ子さんの表情が曇ります。
「遠山さん、本当のことなのね……」

「本当です。こちらに来たいきさつはお話した通りです」
「ユミちゃんは私たちの声は聞こえるの?」
「聞こえています。ママさんの隣で頷いています」
「小早川さんの声はお二人には聞こえませんよね、俺が代わりに小早川さんの声をお伝えします」

咳払いした雅子ママは小早川さんに向かい合います。
「ユミ、あんたって子は……」
「ママ、ごめんね。急に倒れちゃって、なんで幽霊になれたのか自分でも分からないけど……」
「――隣の遠山さんが私の姿を見ることができて、ラッキー!」
ずいぶん明るい幽霊だと、身振り手振りを交えた俺の口寄せが信じられないとばかり雅子ママは睨みつけます。

「それでユミちゃん、そうまでしてお店に来たのは訳があるの?」
「遠山さんにスマホの画像を消去してもらっているとき、ママから電話があって、良くしてくれたママとノリ子姉さんに、お礼を言わなきゃってね、迷惑だったかナ?」
あの時の電話の相手は、てっきり小早川さんの母親からだったと思い込んでいましたが、雅子ママからだったとは……。
俺をお店に誘う小早川さんの巧みな口実、店の入り口で、あえてユミさんの紹介と言わせ、雅子ママとノリ子さんに俺の相手をさせるように仕向けた策略――すべての謎が解けました。

「迷惑なことなんてないわ。ないけどね、幽霊にお礼言われたって、ましてや他人の口から言われたって、ハイそうですかって気分になれないわ」
明らかに機嫌を害した雅子ママの声が尖ります。
「遠山さんが言うには、あなた死んでないんでしょ?死んでないのに幽霊になって人騒がせな!」
「お礼に来るなら生身の身体で来なさいよ!!」
バーンとテーブルを叩いた雅子ママの剣幕に俺と小早川さんは飛び上がります。
両手で顔を覆ったノリ子さんは、テーブルから逃げるように離れ、カウンターにうつ伏した背中を震わせています。

「もう、帰ってちょうだい!」
怒り心頭を露わにした雅子ママに俺は背中を強く押され、店を追い出されました。
「生身で来い!」
ドアを閉め際叫んだ、雅子ママの怒鳴り声が、耳から離れることはありませんでした。


つづく。


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